さて。

このかぐや姫の物語については、皆さん何かしらヒットするのか、メールが飛んできますw

竹取物語でも、このかぐや姫の物語でもいいのですが、この作品を観て、重要ポイントを感じ取れる、つかめるか否かについての基準となるようなものがあるようです。

それは、

この世界が虚構のもの、幻想だとずっと感じて生きていて、自分が間違った場所にいることを感じ続けてきた度合いの強さ
が、この作品を観て、そこに流れているものをわかるか、気づけるか否かの分かれ目となるようです。

この度合いが強い人は、このような作品を観ると、すぐにヒットします。

逆に、この世界が十分リアルで、この世界は幻想なんかではなく、完全な現実だと思って疑う事すら出来ない人は、こういう映画を観ても、観るだけになります。流れているアレは、つかめません。

この度合いが強ければ強いほど、自分が完全に間違った場所に迷い込んでしまった、入り込んで出れなくなってしまった、という感覚が強い人ほど、このような作品は、非常に訴えかけ、出口を示してくれることに気づくのです。

この度合いの強さは、ある程度、その人の成熟さ(人間性と霊性をどれくらいマスターしているか)とイコールになります。

そして皮肉な事に、そのようなレベルにある人は、この世界での生活はほとんど機能不全を起こすことになっていきます。

人間性をマスターし、霊性をマスターしていけばいくほど、この世界で機能しなくなるというのは、とんでもない皮肉です。そして、この皮肉な状況は何万年、もしかすると何百万年前からも、ともかくずっとずっと解消されていないのです。

ですので、この世界自体に何かを期待したり、変えようとすることは間違った理解だということになります。そして、このような理解をしたからといって、機能不全が完全に解消されるわけではないこともまた、闇夜の特質なのです。

前回も書きましたが、この作品を通せば、これだけのことがわかってくるわけです。
これだけのことが書けてしまいます。
この作品は、それだけのポテンシャルを秘めているものなのですね。