考えているときは、自分だと思っている自分の力をつかっています。
気づくときは、自分だと思っている自分の力を使っていません。
気づくときは、私であるものの本性の性質を使っているのです。

考える事は、疲れます。
気づく事は、疲れません。
気づく事は、疲れるどころか飛躍させます。

つまり、考える、ということは、私であるものの性質を大概無視し、自分だと思っている自分の力だけで押しとおそうとしていることがわかるわけです。
ひとりきりでやろうとするから、疲れるのです。

だから、それは暗に自分だと思っている自分だけで生きようとし、私であるものを拒否して生きて行く事を宣言していることになります。
つまり、これが分離している、バラバラになっている状態です。
だから、消耗する人生、疲れ切る人生、体の年齢を重ねて行くに従い、エネルギーのかけらも残らない人生となるわけです。

これが、主権、コントロールを諦めない自分だと思っている自分の顕著な性質となります。