ラマナ・マハルシが生まれた場所は、次の4つの選択肢の内、どれでしょうか?
1:ムンバイ 2:ラクナウ 3:カキナダ 4:ティルチュリ
さて、これは私たちに馴染み深いものではないでしょうか?
この日本という社会にいれば、誰しもが経験するものです。
これはテストと呼ばれています。
学力テストです。
いいでしょうか。
こうしてみれば、私たちがなんてバカバカしいことをやり続けてきたのか?
本当に身に染みてわかるのではないでしょうか?
もし私が、間違った答えをしてしまったのなら、あなたは失格だ。
と言ったら、あなたはどう感じるでしょうか?
しかし、この日本という社会で、これが真面目に行われているわけです。
たとえば、もし真我や実在、合一というものが、国家資格になった場合、
間違いなく、適格試験が課され、このような試験が実施されるのではないでしょうか?
次の4つの中から答えなさい。
正しいものは、どれですか?
早くスピーディーに答えを導き出しなさい
こんなもので真我が実現し、合一できるのでしょうか?
そうであれば、苦労はありません。
誰もここまで苦労はしないのです。
ですので、こうして逆から見た場合、私たちの世界レベルがどこで機能してしまっているのか?意識のレベル、進歩のレベルがどこにあるのかが、とてつもなくはっきりするわけです。
この文章を読んで、バカバカしく感じたり、笑っちゃったりするのであれば、あなたは確かにこの道にいるわけです。
けれど、この人は一体何を言っているんだ?なんか、むかつく。
という感情が出てくるようであれば、あなたの道は、相当難しいものになるはずです。
私が分かる限り、輝かしいものはやってきません。
先日、電車で隣に座っていた学生の方が、一生懸命大学受験の勉強をされていました。
「以下の中から、答えを出しなさい」
彼が勉強している試験用紙を見たとき、なぜ私が勉強ができなかったのか?
偏差値をあげるために、人の何十倍と苦労した理由がよくわかりました。
それが如実にわかったのです。
試験に印字してある文章には、何一つ本物がなかったのです。
問いにせよ、答えにせよ、そこは、本当に空っぽだったのです。
これは、作っている当人の意識レベルが反映されるわけですから、当然と言えば当然なのです。
私が当時、なんでこんなに試験に向き合うことが辛く、文章が読めなかったのかの理由がよくわかりました。
私は文章を読んでいたわけではなく、意識を読んでいたのですから。
そして、その作った人の意識に合わせる事が難しかったのです。
そこまで落とせなかったのです。
逆に言えば、そのような意識レベルだから、このような試験しかできない。
と言えるのです。
発見者の方は、どうしてこのような質問をしないのか?
不思議ではないですか?
「私は成績優秀だった。偏差値も高かった。だから、真我の実現やらなにやらは、このような試験を課すことで、達成されるはずだ」
と誰も言いません。
私たちは、それらによって育て上げられてきているのですから、それらのシステムを採用することが最も合理的なはずなのですが。
しかし、誰もそんな試験は作りません。
なぜって、何の力もないから。
間違ったエゴの誰かが課したシステムで、間違ったエゴの誰かが決めた合格ラインに達したから、真我が実現される、なんてこの道にいる人は、誰もがバカバカしくて思いつきもしないのです。
けれど、世界は違います。
展開されている世界は、違うのです。
彼らは、本当に本気でそう思っているのです。
だからこそ、皆さんの道は尋常じゃない苦しみのプロセスになるのです。
つまり、当時の私がそうだったように、読めない、落とせないレベルに無理やり落とそうと、つまり彼らと一緒に生活しようと試みているからです。
おわかりになりましたでしょうか。
【レベル】:ホワイトクラス以下~クリアクラス
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