「なぜなんだ?なぜこんな無意味なことをしなければいけないのか?
一度外側に出て、もう一回戻ってくることに何の意味があると言うのか?
なぜこんな苦しみの世界が現れなくていけないのだ?
そして、なぜ偽りの私に騙され続けるというバカバカしいドラマを演じなければいけないのか?
一体、何のために?
これが夢で、幻想であることは受け入れることは出来るが、なぜ、何の目的で幻想があるのか?」
これはもっともな質問です。
私も、何度も何度も疑念にかられました。
・マスターの回答
ただ、これに対する最適な答えというものは、私が調べた限りではありませんでした。たとえば、ラマナ・マハルシは、これに対して、こう答えているのです。
「それは、誰のところに起こったのですか?」
確か、こんな答えだったと思います。
ニサルガダッタ・マハラジも、同じような答えです。
ラメッシ・バルセカールは、おなじみのリーラという答えで返していたと思います。
このリーラというものは、非常に使い勝手がいいものゆえに、全く納得できないものです。
「それはそうかもしれないけど、けれど…」
という風に、間違ったエゴは途方に暮れるというか、「はーあ」という感想しか持てません。
間違ったエゴはいつも、「けど、私は」といいます。
それが、間違ったエゴらしい在り方です。
・所詮、概念ゆえに
ともかく、当時私には、到底受け入れられない答えでした。それでは、全然納得できなかったのです。
「そんなことはわかっている」
道中、何度もそう思いました。
「それぐらいのことしか、言えないのか。」
何度も、そう思いました。
「なぜエゴが、個人が現れなければいけなかったのか?最終的に、個人がいなくなるのであれば、なぜこんな茶番を演じなければいけないのか?」
この怒りの質問は、根深くあなたの中に残り続けるでしょう。
さらに、自分が行為をしていないということが概念でわかってしまっているので、茶番を演じているのが自分ではないということが、逆に怒りを燃え上がらせてしまうのです。
それは、もちろんそうなのです。
それは、あまりにもくだらなすぎるからです。
私の場合は、いつもいつも頭に来ていました。
なので、もう少し気の利いた説明をしてくれている人を探してみたのですが、誰もいませんでした。
少なくとも、リーラや主体の意思、それが誰なのか?という説明では、全然、私には満足できなかったことは確かです。
全然、役に立ちませんでした。
概念でわかったって、意味のないことなのですから。
・結果的にわかったことと、理解の糸口になる答え
そのように、相当頭に来ていた私ですが、結局わかったことは、彼らが言っていることと同じだった、というジョークにもならないものでした。
ただ、あまりに怒っていてその理由について諦めなかったためか、
ニサルガダッタやマハルシが指摘していないことで、糸口になるものがわかりました。
それは…
「なぜ、こんな幻想が繰り広げられているのか?
なぜ、偽物の私、エゴ、個人が現れて、それから消えて、
もう一度元に戻るなんて、馬鹿みたいなことをしているのか?」
という質問が発生するなら、
その質問をした人は、それほど自分自身に執着している、この世界に執着している
、ということを示しているのです。
それは、それだけ自分の存在感覚や世界を重要視している物差しになっている。
ということなのです。
なぜニサルガダッタやマハルシがこう回答しなかったのか?
それは、わかりません。
もしかしたら、彼らはそういっていたのかもしれません。
ただ、私が調べた限り、どこにも書いていませんでした。
もし、そう教えてくれていたのなら、それは私にとっては、もっと楽になっていたでしょう。
では、それがなぜ物差しになっているのか?
これは、皆さん一人ひとりが理解してください。
ただ、ここまで話せばそれがどうしてなのか?という答えを見つけられるでしょうし、答えがわかれば、「ああ、なるほどね」とわかり、方向性が確かなものとなり、以前ほど、この問題に執着しなくなるでしょう。
私のように、怒ったまま進まなくても良くなるでしょう。
この問題については、グループミーティングの中で時間を割いて扱いますので、
興味があれば、どうしても腑に落ちない、わからない、という人は参加してみて
ください。
【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス
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