個人は嫌でも協力していかなければいけなくなります。

分離の幻想を終わらせ、再び合一すること、至高の場所に還る事が決定されたのならば、個人は嫌でも協力させられるのです。

それまでは、個人が好き勝手に人生を生きていると思っていました。
個人は、オレの人生はオレが決める、という考え方で生きていくことが許されていました。
実際は、違うのですが。

それでも、自分で自分の人生をコントロールして自分の幸せのためだけに生きている、という錯覚、夢が許されていたわけです。

自分が人生の舵を握っていました。

けれども、精霊がやって来て、還らなければいけないことを告げられた後、その舵の役割が個人から神に切り替わってしまうのです。(もちろん、今までもそうだったのですが)

しかしながら、まだまだ個人のままでいると思っているので、このプロセスは想像を絶する苦しみを味わい続けて行く事になります。

「嫌だ、嫌だ。進みたくなんかない」

と思っていても、単に思っているだけなので、それほどの力がありません。
もう決定されてしまったものに対して、個人の異議は常に無効とされてしまうのです。

ですので、個人に求められることは、とにかく合一に対して協力していくことだけなのです。
嫌でも。

個人は、疑いで出来ています。個人の性質についてでも取り上げたように、個人は終始一貫して疑います。

なぜなら、個人は実在していないものですので、だから疑うのです。
依って立つものが何もないからこそ、疑うのです。
個人は、疑うことしか出来ないのです。

こういう理由から、疑って疑って疑い続けて尚、合一へのプロセスに足並みを揃えていくことになっていきます。

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス

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