何も掴んではいけない。
何かを掴むから、苦しみが始まるのです。
あなたが、それを掴み、握り締めた瞬間から、束縛と執着が始まります。
つまり、キーを回してしまい、エンジンがかかったのです。
もちろん、私が話していることを素直に受け止めなくても構いません。
ただ、それが本当なのかどうか、自分で調べて欲しいのです。
自分で誠実に調査して初めて、それが本当だと気づくのです。
あなたが欲望を掴み、握り締めることで、檻の中に入ってしまいます。
ひとたび欲望につかまったのなら、それが終わるまで、欲望を満たすまで、ずっと飢えと乾きを感じながら、生きていかなければなりません。
そして、欲望を満たすことが出来て、初めて欲望から解放されるのです。
欲望を満たしたその瞬間だけ、「あー、良かった」と感じるのです。
その瞬間だけのために、どれだけ長い間、無駄なエネルギーと時間をつぎ込めば
いいのでしょうか?
そんな非効率な話があるのでしょうか?
これは、本当に残酷な話です。
欲望にとりつかれている間、それは野望ではなく、苦しみだけです。
欲望を果たした瞬間、それを成就するのではなく、欲望から解放されるのです。
であれば、最初から付き合わないほうがいいのではないでしょうか?
欲望がやってきても、それを無視してみてください。
手を開いたままにして、落っことしてみてください。
どうなるでしょうか?
やってみてください。そして、私にそれがどうだったかを伝えてください。
欲望は、実際、掴むことは出来ません。
なぜなら、実在していないのですから。
ただ、あなたは掴んだ手の中で、その感触を確かなものにするために、
人生のエネルギーと時間全てをささげて、実在化させようと必死にもがき苦しむのです。そして、手の中にあるイメージが、自分のイメージに重なった瞬間、あなたは一致を感じ、それを手放すのです。
けれども、もしそこであなたが注意深ければ、成熟しているのであれば、欲望は常に架空のもので、掴むことは出来ないことを悟るのです。
そこで、あなたはなぜこんなもののために、人生を生きていかなければいけないのか?
それについて、疑問を持つはずです。
疑問を持ったあなたは、欲望を終わらせるために、もしかするとあらゆる修行に
励むかもしれません。けれども、それもまた欲望なのです。
欲望を終わらせるという奇妙な欲望です。
この奇妙な欲望にとりつかれてはいけません。
何であれ、欲望がどこからやってきたのか、見つけ出してください。
果たして、欲望はどこからやって来るのでしょうか?
ニサルガダッタ・マハラジは、こう言っていました。
「あなたのフックをまっすぐに保っておきなさい。」
間違いなく、その通りです。
吊るされてはいけません。
吊るされて生きていくということが、どれだけ苦しいのか?
あなたなら、それがわかるはずです。
けれども、世界のほとんどすべては、吊るされて生きているのです。
この絶望的な苦しみを見てください。
それを直接見ることができたのなら、あなたは、何が大切なのかに
絶対に気づくのです。
【レベル】:クリアクラス
※クラスの詳細については、こちらとこちらを参照下さい。
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