私達は自分を何より大事にし、自分の人生を何よりいつも考えて、自分のメリットを最優先して生きていくことが当たり前で、デフォルトだと考えています。

私達は、そのように生きています。

しかしながら、そのような生き方が人生で最も大事なものであるのなら、それが基盤で、それが大前提であるのなら、自分の利益や欲望と無関係に行われることがこんなにも素晴らしく感じられるのは、なぜなのでしょうか?

驚くべきことに、この根本的な矛盾を誰も疑いません。
私達は、個人に完全に眠ってしまっているので、このような疑問がやってきません。

自分がない行為が、こんなにも体中の細胞を喜ばせるのはなぜなのか?
自分がないとき、どんな快楽よりも素晴らしい心地になるのはなぜなのか?

このことは、私たちの生き方の大前提と完全に矛盾しています。

もし自分が何より大事なら、自分の利益が何より大事なら、損をしない生き方、誰よりも優れた生き方が大事なら、自分がない行為というのは、もっとも価値がない生き方になるし、最悪な気分をもたらすはずです。
自分がない行為は、動力源になる損得というものを捨て去っているのですから。

それなのに、自分がどう思われるか構いやしなく、損得勘定がない表現、自分がない行為というのは、最高な気分にさせてくれるのです。

もし私たちの生き方の大前提が絶対であるのなら、それは絶対なのです。
それ以外は、ありません。
何か間違いが起こって、自分がない行為をして最高の気分になる。なんてことは、ないのです。原則に例外があるのなら、それは完全に偽りであり、うそです。
私はいままで空が間違いを起こした所をみたことがありません。

これは、前提そのものが完全に間違っていることを示していないでしょうか?
私は、かつて何度もこのことを自分に問いかけました。
不思議でしょうがなかったからです。

自分がないことの素晴らしさ、その途方もない感覚、体中の細胞が歌い、踊る感覚、
私にはこれらを捨て去ることは出来ませんでした。

これらの感覚より、より月収が多い生き方、今より金を稼ぐこと、自分が誰かより優れているからといって、誰かを小ばかにすること、自分の持ち物を必死に集めたり、守ったりすることの感覚、これらの感覚は私にとっては、決して上位に来るものではありませんでした。
それらは、あの最高の感覚をもたらしてくれは、決してしなかったのです。
むしろ、たいていの場合は、よどんだ感覚をもたらすものばかりでした。
そういうことを意識すればするほど、重くなる一方でした。

誰かより優れていたりすることで、細胞が歌い、踊ることはありませんでした。
より多くのお金を手にすることで、細胞が歌い、踊ることはありませんでした。
あのぞくぞくするような、突き抜けた感覚、一切の制約が解き放たれる感覚になることは、ありませんでした。

だから、私には本当に疑問だったわけです。

誰もが、自分たちの利益、損得を捨て去った行為がもたらす感覚の素晴らしさを知っているのではないでしょうか?

それを経験し、知っているのにもかかわらず、なぜまた戻って、自分の利益、何を持ち、何を失わないか?に終始する日常を生きなければいけないのでしょうか?

その最高の感覚を知っているのなら、なぜそこだけに向かって生きていかないのでしょうか?

それを知っているのなら、なぜ自分を大事にしてしまうのでしょうか?
それが一番やっかいなものだと知っているのに、なぜそうしてしまうのでしょうか?
なぜすぐにそれにつかまってしまうのでしょうか?

私は、何も難しいことは言っていないと思います。
ギブアップの会で私がこうして話していることは、至極当たり前のことです。
最高の概念ではありません。素朴すぎる話です。

では、なぜ私たちは自分がないことはすばらしい感覚にしてくれ、そこが故郷だと知っているのに、また戻って、自分にしがみつくのか?

もちろん、その理由は簡単なものでした。
自分を失い続ければ、自分だと思っている自分が消えてしまうからです。
個人は、間違ったエゴは消滅への恐怖を常に持ち続けているからです。

けれども、絶えず恐怖に駆られた人生を生き続ける、というのは、まさしく皮肉的ですが、どんなメリットがあるというのでしょうか?
結局、体は持ちこたえられない為に、どんな個人も生き延びることは不可能なのに。

それよりも、自分を失い続け、最終的に何の痕跡も残らない目覚めた眠りの場所にたどり着くことの方が、まさしくメリットがあるのではないでしょうか?
その場所は、まさしく至福の場所で、幸福はこの場所にしかありません。

自分がない行為、損得勘定を捨て去った行為がもたらす、あの最高の感覚は、
この目覚めた眠りの場所を反映しているが故なのです。

故郷、自分自身の本当の家はここにあり、私たちは本当にここを求めているのです。

そして、それには自分だと思っている自分というやっかいな重荷だけが問題なのです。
消滅から絶えず逃れ続け、なんとか生き延びようと日々昼夜画策する個人が
問題なのです。

事は、とんでもなくシンプルなのです。
そうではないですか?

ここには、華やかな概念もないし、キラキラした言葉もメソッドもありませんが、
ともかく、事はシンプルなのです。

もう一度、みてみてください。

自分が思っている自分を捨て去った時の、なくなった時の、一瞬でも関心がなくなった時の感覚は、あなたにとって素晴らしいものでしたか?
それは、素晴らしいものだとしたら、なぜ自分を大事にするのでしょうか?
それは、反対方向にあるものではないでしょうか?

もし反対方向に進むのなら、あの感覚は決して得ることが出来ないのに、なぜ自分を大事にするのでしょうか?

そう、本当に私たちはつかまっているのですね。

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス