☆イメージの奴隷になる

なぜなら、それは天職という言葉の持つ響きが本当であることを知っているからではないでしょうか?

その言葉は、真実の響きを持っています。
そうでなければ、使わないでしょう。

その言葉は、人の何かを確実に掴むから、彼らは使っているのです。
ただ、問題は、イメージの奴隷にする為に使っていることです。
使っている本人すら、自分が何を言っているのか、わかっていません。
ただ、それが有効だとわかるから、使っているだけです。

そして、誰もが天職というコピーを見ても、何も感じないのです。
彼らには興味がないのです。

けれども、自分が本当に何をすべきか?本当の仕事とは、何なのか?何の為に生まれてきたのか?ということが、生きていくことの中で最重要事項な人にとっては、そうではありません。

世の中のほとんど大半は、自分が何をしているのか?
本当にすべきことは、何なのか?ということに関心はないようです。

それよりも、よりよい家を持つこと、よりよい車を持つこと、よりよいパートナーを手に入れること、よりよい企業、仕事に就くこと、よりよい役職につくこと、もっとお金を持つこと、よりよい学歴を手に入れること、よりよい自分になること。
というこれらのものをずっとずっと追い求めて生きているのです。

たいていの人は、程度の差こそあれ、このような生き方をしているのです。

☆天職を探すことは、愚か者のすること

こういうわけで、天職なんて探す事は愚か者のすることだ。
という信念が根付いているのです。

もし面接でそんなことを言い出そうものなら、失笑されるのではないでしょうか?
もし仕事仲間とランチタイムにそんなことを持ち出そうものなら、空気が読めない奴ということになるのではないでしょうか。

それは、天職なんて絵空事でバカバカしいこと、無意味なことだとされているからでしょう。

自分が何の為に生まれてきたのか?何をすべきか?
自分が本当にやらなければいけないことは、何なのか?

ということを問いかけること自体、答えがないので、バカバカしいこととされているのです。

この社会の信念としては、自分探しや天職探しは、失笑の種になっています。
そんなもの、架空なものを追いかける前に、社会人としてやるべきことがあるはずだ。
とされています。
そんなものを追いかけるのは、大人になりきれないロマンチストがやることだ、
という通念になっているようです。

世界の進歩レベルは、このような段階にあるのです。

けれども、私が経験していえることをはっきりと話しましょう。

(つづく…)