さて。
今回は、これを見ていきましょう。

本田圭佑さんというプロサッカー選手が、ツイッターにて

「ルーティンなんてクソ喰らえ。って自分に言い聞かせながら考えて行動してる。
ルーティンは生産性も高くて心地も良いけど考える力が身に付かないから。」

という発信をしたようで、これが物議を醸しているようです。
ええ、またしても物の議論です。モノです。
いのちは忘れられています。神は、すっかりどこかに飛んでいますw

さて。
彼の言うように、ルーチンなんてしないほうがいいのでしょうか?
あるいは、彼が言っている事は、間違っているのでしょうか?

ツイッター上には、たくさんの意見があるようです。

ここで私たちは、モノの議論ではなく、いのちから、中心に神を置いたところから、これをみていくことにしましょう。

まず、なぜ彼のこの発言が物議を醸すのでしょうか?
その理由は、簡単です。

彼のこの発言に対して、ヒステリックに反応するのは、自分だと思っている自分が恐れているからです。ルーチンを実践し、取り入れている人であればあるほど、自分が間違いを犯しており、自分が否定されているように錯覚してしまうからです。

自分が否定されるとは、自分は存在していない、ということを指摘されているような”もの”で、本人にとって、それは恐怖でしかないからなのです。

その浮輪が取り去られてしまえば、今度は、自分は一体何にしがみついて生きていけばいいか?
不安にかられるがゆえに、物議を醸すのです。反抗するのです。

自分だと思っている自分を構築しているイメージが崩壊する事ほど、間違ったエゴが恐れる事はありません。間違ったエゴは、それを徹底的に排除します。

これが、ここで起こっていることです。

では、しかしながら、ルーチンは、彼が言うように、くそ喰らえなのでしょうか?

そこで、今度は、彼についてみていきましょう。

最近は、ルーチンというのが流行りのようで、何かと言うとルーチンです。

・朝、これこれをやるのがルーチン
・練習では、これこれをまずやるのが自分のルーチン

というように、一定の時間にやるタスクリストを自分自身に与え、それをこなしていくことで、生活を”安定”させようとする意図がここにはあります。

ですので、ルーチンを積極的に取り入れる目的は、安心感を感じたいからに他なりません。
決まりきった行動をすることで、暗にイレギュラーな状況を排除しているわけです。

こういうわけで、本田選手は、それがくそ喰らえだというわけです。

なぜなら、サッカーは、イレギュラーな状況に置かれるのが常なスポーツだからです。90分という試合の中で、一人一人の選手は、常に局面局面に対処していかなければいけません。「こういう場合は、こう動く」というマニュアルは、ありません。指標はあるにせよ、あくまで指標であって、局面の状況でベストな判断をくださなければいけないのがサッカーです。(何においてもそうですが)

たぶん、こういう理由から、彼はルーチンの愚かさを説いているのでしょう。
サッカー選手がそういうルーチン漬けになってしまえば、試合に必ず影響が出てくると。サッカーだけではなく、人生においても、一緒で何が起こるかわからないのが人生なのだから、常に状況に対応できるような柔軟さが必要なんだと彼は、感じているのでしょう。

言わんとしていることは、非常にまともです。
けれども、間違っています。決定的に。

だからといって、ルーチンを積極的に人生に取り入れていくことが正しいかと言えば、間違っています。これまた、決定的に。

しかしながら、両者とも間違ってはいないのです。
これは一体、どういうことでしょうか?
間違っているけれど、間違いではない。

矛盾しているように見えますが、矛盾していません。

なぜでしょうか?

なぜなら、彼らのレベルからすれば、それはそう思って当然だからです。
それは、間違っていません。
けれど、間違っています。
なぜなら、彼らはまだ目が見えていないから。
彼らは、まだ眠っているからです。

さて。
ですので、私たちは、超えていきます。
超えて、見ることが起こるように許します。

では、彼らの何が間違っているのでしょうか?

その前に、まず先ほど触れましたが、ルーチンの目的について再確認しなければなりません。

ルーチンとは、人生を安定的な状況に保ちたいがゆえの、間違ったエゴの必死の試みです。なぜなら、存在しないから。

以前、中村俊輔さんというプロサッカー選手が

「ルーチンは必ずやる。まずこれをやって、あれをやって、次にこれをやる…、という風にルーチン化することで、なんていうんだろう?安心するんだよね」

と言っていましたが、まさしく、安心したいがためのルーチンなのです。

決まった行動パターンをとりいれ、その中に自分が住む事で、それは安定的な家のような役割を担います。
そのような安定的な家のなかでは、外の状況に関わらず、安心していられるから、というわけです。

しかしながら、実際は、そのような目論見はあっけないほど簡単に崩壊してしまう”もの”です。つまり、イレギュラーな状況が常に襲ってくるからです。

よって、ここからわかることは、ルーチンをする目的も、ルーチンをくそ喰らえだとする目的も同様に、恐怖から発生していることがわかります。

恐れです。

恐れしかないのです。この世界は。
ここに、人がいかに恐れているのか?
根元が恐れで出来上がっているのか?
それが見て取れます。

だから、間違っているのです。
恐れとは、間違い以外の何”もの”でもありません。

自分だと思っている自分、間違ったエゴが試みる全ては、間違っているがゆえに、何をしても間違い、恐れにしか帰着しないのです。

では、ルーチンは間違いなのでしょうか?

それは、違います。

太陽は、必ず東から昇り、西へと沈みます。
決まった時刻に、決まった方角に沈んでいくのではないでしょうか?

これは、ルーチンではないでしょうか?

人は、朝起きて、夜眠ります。
これは、ルーチンではないでしょうか?

リズム、周期的な運動は疑いなく存在しています。
朝がきて、夜になる。夜が終われば、朝が来る。

何もかもが、それぞれのリズムにのっとっていることは、明白です。

ですので、ルーチンはくそ喰らえではありません。
太陽が気まぐれに、

「ルーチンはやめた。くそ喰らえだ。今日は正午から東に沈む事にする」

ということになったら、混乱しかありません。

だから、間違っています。

間違っているのは、ルーチンそのものではありません。

間違っているのは、ルーチンをする人が間違っているのです。
間違っているのは、ルーチンを取り入れる人が間違っているのです。

間違っているのは、人生をコントロールできると思いこんでいる人が間違っているのです。

一体、誰がするというのでしょうか?

「朝になったら、まず体操をする」

しかし、それは本人がやっているのでしょうか?

では、その筋肉を動かしているのは、その人でしょうか?
そこに流れる血液を、その人がすべて動かしているのでしょうか?

あなたは、何も知らないのです。
知っていると思っているだけです。
知らないことを知りません。

中心に、玉座に、王座に間違ったエゴを置いているため、もの心に取り憑かれているため、なんでも自分で対応できると思っているだけなのです。

いわゆるルーチンとは、自分だと思っている自分が自分ひとりで人生をコントロールできると思っている滑稽な行為です。

それゆえに、決定的なほど間違っているのです。

今回は、プロサッカー選手の本田圭佑さんの発言をもとに、私たちの根本的な間違い、まさしく一番根っこに何が横たわっているがゆえに、世界はこれほど恐怖に満ちているのか?
その正体をいつもとおり、見てみました。

これが本当の原因です。
ここに全ての問題の元凶があることがわかります。

その元凶をここでもまた見る事が出来ました。

私たちに求められている事は、これを見る事ができるようになり、そして、見る事ができるがゆえに、それに支配されない状態であることが常態であることです。

【レベル】:ユニティクラス