先日、ウーパールーパーが絶滅の危機に瀕している、というニュースがありました。

ウーパールーパーがどんなものなのかは、ご存じだとは思うのですが、彼らの存続があやういようで、ニュースになっています。

このニュースを読んでみると、今絶滅の危機に瀕してはいるが、その直接的な原因については、あまり触れていないようです。

「原因なんかさ、どうだっていいんだよ、それよかさ、ともかくウーパールーパーが絶滅するようなんで、伝えておくよ。そして、それを今、必死で救おうとしているんだよ」

と、簡単に書けば、こういうことを伝えています。

では、なぜ彼らが今、絶滅の危機に瀕しているかと言えば、彼らはどうやら人間の実験に非常に役立っており、かつ、人間が彼らを食べちゃってもいたようです。さらに、彼らが生息する場所は、大都市近辺で、都市が拡大するにしたがって、埋め立てられちゃって、住む場所がなくなっていった、ということでもあるようです。

私は、彼らと話したわけでも、実際に調査をしたわけでもないので、これらの情報をうのみにはできません。

ただ、もし実際に彼らの生存が脅かされているのであれば、それは人間である間違ったエゴが直接的な原因なのか?それとも、間違ったエゴとは無関係に、ただ、種の寿命として、彼らの終わりが来ただけなのか?というところで、私達は見る必要があります。

どちらとも言えるかもしれません。要するに、人間に彼らが負けたために、滅びることになったと言えば、確かに種としての寿命でもあるのですから。

しかしながら、わかる限りで言えば、間違ったエゴの事情から、「ここ、埋め立てちゃおうよ」と簡単に話が進んでいったことは、容易にわかります。間違ったエゴを観察する限り、欲望に魅せられると、間違ったエゴはもうブレーキがききません。止まれません。

同時に、フォーカスがとんでもないほど狭くなり、もう欲望を達成することしか、眼中になくなってしまうのです。一度、走り出したら、決して止められない。それが悪かろうが、よかろうが関係ない。逆にそれを止めようとすることの方が、悪になってしまうのです。

世界は、いまだにこんな生き方を採用しています。

そのようにして、そこに何が住んでいようが、関係なく、欲望のままに突き進むことになります。

しかしながら、私が人間を見ていて、もっとも笑ってしまう所は、”そのあと、悲しむ”ことです。

「ああ、どうしよう、大変だ」と騒ぐことです。

ある種を絶滅まで追いやっておいて、「ああ、大変だ。彼らが、絶滅してしまう。なんとしてでも、助けないと」

ニュースにして、騒ぎ立てるのです。

人間であるエゴは、一体何をしたいのでしょうか?www

もう少し正確に言えば、人間は始終動物なのですから、ただ欲望にかりたてられて、動くわけです。しかしながら、絶滅まで追いやって初めて、動物が一瞬止まるのです。一瞬”我れ”にかえります。そして止まったその隙間から、精霊が現れて、「あ、いけね」となるわけです。

ただ、この人間という種を見てると、”殺した後に、再び愛する。殺した後に、再び自分たちの罪に嘆く” ということを何度も何度もやっています。

そして、誰もそのことに気づきません。

私は、最初、気づいていながら、そんなバカ丸出しのことをやっているのかと思っていました。もっと崇高な何かのために、あえてこういうあほみたいなことをやっているのかと思っていました。

しかし、長い間、彼らを観察してみると、それはそうではなく、本当に何も気づいていない、という結論に達しました。

なぜなら、気づきは間違ったエゴのものではないので、ひとたび気づいたのならば、このようなことはできなくなってしまうからです。

自分たちで絶滅に追いやっておいて、今度は、「ああ、大変だ。なんてことだ」と騒ぎ立て、嘆いたり、また誰かのせいにしたり、なんてことをあらゆる時代に、あらゆる場所で、あらゆる対象物に対して、何度も何度もやり続けているのです。

まさしく、アンドレ・リノージュが言ったように、

「地獄は、繰り返しなのだよ。何度も、何度も繰り返す。」

なのです。つまり、言ってみれば、ここ地球という場所ではいつもいつも、地獄が演じられている、ということです。ですので、地獄は、特定の場所にあるわけではなく、いまここで演じられているものだ、と言えるのです。

そういうわけで、この繰り返し作業である地獄の場から「もうこりごりだ、うんざりしているから、ここから出るよ」と言いたくなって、再び故郷に還る道、合一に向かうわけです。

彼らは、絶滅の本当の理由を決して語りません。
現象だけ、たとえば、”都市の拡張やらなんやらがのしかかって” みたいな上っ面な現象には触れますが、それが自分たちのご都合主義、単に欲望に駆り立てられた、私達人間の醜い行為の産物だ、ということは絶対に書けません。

すでに、説明したとおり、自分たちがしていることに気づいていなく、誰かから指摘されれば、獣、動物なので攻撃されたとしか受け取らず、また議論と言う戦争をはじめ、今度はそれに夢中になって、なぜ彼らが絶滅する羽目になったのかは、もうすっかり忘れてしまうからです。

彼らは、今後も気づくことはないでしょう。

さんざん殺し、そのあと、嘆く
これをずっと続けていくでしょう。

くどいようですが、1万年前もそうだったし、1万年後もそうだ、ということです。
ニサルガダッタ・マハラジの言うように。

気づいたときには、もう時すでに遅しで、今度はそれは、種としての人間が他の要因によって、終了するときしかありません。

私が言えるのは、ある点において、もうそこにさしかかっている、ということです。
もう、待ったは通用しないところに来ています。なぜなら、私がもう、世界に飽きてきたからです。

私がここでお伝えしたいことは、ウーパールーパーの絶滅を通して、間違ったエゴがいかにお馬鹿さんなのか、ということなのです。そしてもっと大事なことは、そんな世界に、世界の中にあなたは一体、何を期待しているのか?ということです。

ウーパールーパーの生態やら何やらのデータをとり、解析、分析し、高価な機械をつかってあらゆる研究をしようが、それで絶滅させてしまうのなら、人間である間違ったエゴは、単なるバカな動物としか言えないのです。結果から見れば。

ただ、データをとれて見せかけをよくしているだけで、本質は、温泉につかっているサルにも劣る、というわけです。

もしこういうことを言われて、ムカッと来たり、反論したくなるなら、それはあなたがいかに自分が動物か、ということを現わしている指標だということです。
もうわかりますね、間違ったエゴ、この人間という動物は、動物ゆえに臆病だからです。

言われたら、言い返してやりたくなり、やられたら、やりかえしてやる。
おなじみのものです。

このような世界に、私達はいったい、何を期待しているのでしょうか?
つまり、この世界、現象と言う世界は、間違いなく危険なジャングルなのです。

それを本当に、心を通り抜けて、もっとも深い理解を得たなら、ここにいるべきではないことに気づくのです。

ここで伝えたいことは、あなたがいかに去らなければいけないのか。ということについてです。対象そのものの中には、何の期待も持ってはいけない、ということなのです。

欲望の結末は、一体何なのか?
間違ったエゴに血塗られた欲望がもたらすものは、何なのか?

目を血走らせて突き進み、掘って掘って掘りまくって、最後に掘り過ぎたために、出てこれなくなってしまう。

さて、このウーパールーパーの絶滅は、典型的な一つの例というわけです。

言ってみれば、こういうことがわかるのです。

そしてみなさんには、この構図を皆さんのあらゆるものに適用してみて欲しいと思います。

これが本当かどうなのかは、ただやみくもに信じることはよろしくありません。
自分自身で、検証し、自分自身の結果を持つことが大切です。

そうでなければ、これは単なる一つの催眠に過ぎないのですから。

さて、以上のように、今回は、ウーパールーパーの絶滅危機と言うものを通して、人間という間違ったエゴ、動物、個人の欲望がもたらすものについて見てみました。

【レベル】:ホワイトクラス以下~クリアクラス