ここで挙げる例は、私がもっともスタンダードだと感じるものです。
・ジム・キャリーが現す気づきの力
ジム・キャリーというアメリカの俳優の方です。彼は様々な映画に出演しているので、ご存知の方も多いかと思います。
とりわけ、彼が出演した「トゥルーマン・ショー」という映画がありますが、この映画もまた、ビューティフル・ドリーマーと同じように、私たちに大切なものを気づかせてくれる内容となっています。
そして、このような映画の主演が彼であった、ということは、偶然なのでしょうか?
もしかすると、彼以外の俳優であれば、あの映画の本当の価値を引き出せなかったのかもしれません。
まさしく、全ては理にかなっている、ということです。
・最も明らかなものを疑う
トゥルーマン・ショーにおいて、彼は自分が単なる役者の一人に過ぎないことに気づきます。彼は、周りの世界を疑ったのです。
「これは、本当だろうか?これが、現実なのだろうか?」
「この世界は、本当に本物なのか?全てが仕組まれているように感じるのは、なぜだろう?誰も彼もが、演技をしているようにしか見えないのは、なんでだろう?」
彼は、生まれてこのかた、当たり前だと思っていたことに初めて疑問をもったのです。
誰もが、「そんなことに疑問を持つんじゃない」
「もっと人生を楽しめ」
と彼に告げます。
なぜなら、これが劇だと、幻想だと知られては困るからです。
これが、どれほど難しいものなのか?
映画を観ていれば、客観的に「早く気づけばいいのに…」と思うかもしれませんが、映画を観終わった後、どれだけの人が本当に、自分の人生において、最も明らかなものを疑うことが出来るでしょうか?
私が言っていることは、つまりそういうことです。
これが映画で、他人事のように見ているなら、それは大切なものを見逃している、ということです。
この映画が教えてくれているのは、まさしく”あなた”のことだからです。
私が、ここでくどいほど言っていることを、この映画は端的に教えてくれています。
彼は、この映画の主演になるに、うってつけの人でした。
まさしく、彼でなければ成立しない映画だった、ということです。
なぜなら、彼は基準を満たしていたからです。
この映画が持っているレベルと、彼のレベルが同じだからこそ、非常に有効に働くわけです。
これが、ゴールドクラスにいる段階の在り方です。
・気づきがもたらすもの
彼だけでなく、他にもまだまだこのような在り方でいる方は、いらっしゃいます。けれども、彼は典型的で、非常にわかりやすい例です。
彼の目を見てください。
彼の目の輝きを見てください。
彼が話している在り方を見てください。
気づく、ということが何を生み出すのかを明確に語っています。
彼から発散されているものを、あなたは感じることができるでしょうか?
ゴールドクラスの段階に至れば、この在り方が、スタンダードなものとなります。
彼の目には、もうあの濁りがありません。
もちろん、いまだに過去の苦しみや憎しみにひきづられているでしょう。
けれども、それを凌駕した気づきが、その影や暗闇を振り払い、燦然と輝いているのです。
こうなるともう、元の世界には戻れません。
それは、あまりにも取るに足らない世界だからです。
あまり好ましいたとえではありませんが、大学生が幼稚園のお遊戯に戻って、そこに加わりたいとは思わないのと一緒なのです。
これから、ゴールドクラスで実習者が何を通り抜けていくのかを、説明していきますが、根底にある在り方は、ここでご紹介したジム・キャリーが示してくれているものだ、ということを覚えておきましょう。
(おわり)
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