花は綺麗なものだと、誰もが思っています。
その美しさを本当に見たか否かに関わらず。

そして、私達は花の美しさを知っているわけですから、ではいったい、誰が花にそれ以上に美しくなるよう要求するのですか?

私は、今まで花に対して「お前、ここが悪いな。もっと欠点を直して、綺麗になれよ」という人をみたことがありません。

山、たとえば富士山が壮大なものだと、誰もが知っています。
しかしながら、「お前、ここが悪いな。ここがぶさいくだな。もっと欠点を直して、かっこいい山になれよ」と言っている人を見たことがありません。

誰が、花に対してこれ以上に綺麗に咲くことを求めるのですか?
誰が、山に対してこれ以上に壮大になるよう要求するのでしょうか?

花や山は、神の完全なる表現だからこそ、誰もがそれらに魅かれ、敬愛してやまないのではないでしょうか?であれば、人間もまた、そうなのではないでしょうか?人間だけが、自分たちが創りだした罪に嘆いているのではないでしょうか?

それは、滑稽ではないですか?

自分を罰し、友を罰し、隣人を罰し、「あいつは醜い」と人間だけが、人間をそう扱うのではないですか?花や山は、何も求めていません。ただ、咲くこと、在ることだけを徹底的に生きているだけではないですか?花がいつ、「私はもっと美しくなろう」というのですか?花は、いつも鏡をみて、自分を正しているのですか?人間だけが、それをやるのではないでしょうか?

人間もまた、神なのです。それは、絶対的にもう避けられない事実なのです。分離は、幻想なのですから。そうであれば、なぜあなたは自分の人生を自分で良くしようとするのですか?自分の欠点ばかりを見るのですか?花や山に対しては、そんなことしたことないのに。

これが私達すべての問題ではないですか?もし完全にあなたの中に描かれている完璧な絵を、パターンをそのまま表現できたのなら、それはどんなに美しいでしょうか?それをそうせず、私達は自分で自分の人生を良くしようとするから、逆に醜くなるのです。あらゆる苦しみが生まれる土壌となるのです。

つまり、これこそ古くから伝えられている、

神にすべてを任せなさい。神に全託しなさい。ということなのです。

あなたは完璧なのに、あなただけが完璧じゃないと錯覚しているのです。これは、本当に聖なるジョークです。

いいでしょうか?
事は、非常に簡単すぎるほど簡単なことなのです。
複雑にする必要など、ほんとうは全くないのです。

それを直接知りなさい。

【レベル】:ゴールドクラス~ユニティクラス