いいでしょうか?
努力して手に入れたものに対しては、誰もがそれにしがみきます。
それが苦労して苦労して、やっとのことで手に入れたものなら、
なおさらです。
私がこの人生を生きて、多くの人と関わった中で言えば、誰もかれもが、努力して手に入れたものを手放しません。
「これは、俺のものだ!」
「これは、私のものだ!」
苦しみぬいて手に入れたものだから、それは当然と言えば当然のような錯覚にだまされます。
しかしながら、この生き方が、全ての問題を発生させる土壌だと言ったら、あなたはどう思うでしょうか?そして、それは本当でしょうか?
もちろん、私の答えは、YESです。
「俺の物、俺の物、俺の物」
ここに全ての間違いがあることを、誰も疑いません。
自分のものにできるものなど、何一つないのに、自分のものだと言い張ります。
執着します。囲います。
この在り方の結果、何が起こるかと言えば、何が起こっているかといえば、
「バラバラだ」という信念が、分離の信念が非常に深く根付いているのです。
全てはバラバラだから、何が起こるかわからない。
だから、人は自分の持ち物を分離させないように、しっかりと防御しなければいけないのです。
この分離という幻想に、努力というスパイスが加わることで、分離は難攻不落の信念として立ちはだかるわけです。
「努力して、努力して手に入れたものだから、もう決して誰にも何も言わさない。これを手に入れるのに、どんなに苦労したか。もう決して私から、離さない。これは、私のものだ。誰かに、傷つけられて、奪われてたまるものか!」
けれども、いつかそれは失います。確実に。絶対に。
最高に馬鹿げているのは、これを何度繰り返しても、全く気づけないことです。
毎回毎回、同じことを繰り返します。
(つづく…)
【レベル】:ゴールドクラス~ユニティクラス