なぜなら、努力とはそういうものだからです。
しがみつかせるようなものは、本物ではないのです。
従って、しがみつかせるような心境にかりたたせる努力は、偽物なのです。
いいでしょうか。
今、全ての人が、自分の持ち物にしがみついているのではないでしょうか?
自分のキャリア
自分の学歴
自分の成績
自分の考え方
自分の信念
自分の仕事のやり方
自分の車
自分の家
自分の恋人
自分の家族
自分の子供
自分のカバン
自分の洋服
自分の知識
自分の霊性
自分の体
自分の宗教的地位
自分の国
自分の…
いくらでも続けることが出来ます。
もし世界の半分以上の人が、このことを体得できるほど進歩しているのなら、世界の問題のほとんどすべては解決してしまいます。
事は、それほど簡単なのです。
こんなにも簡単なことを誰もが気づけないわけです。
そのレベルまで到達できないのです。
(到達ということ自体が間違っていますが)
到達できないから、逆に事を難しくし、テクノロジーやら何やらで解決しようとするのですが、やっているのがその低い段階のまま、幼稚なままですので、問題を新たに創り出すことしかできません。
よって、このまま行き着く先は、創り出した問題に呑み込まれてしまう。
その問題によって、窒息してしまう、ということです。
さて。
こういうものを何の執着もなく、あっさりと捨て去ることのできる人はいるでしょうか?
それがなくなっても、何の感情にも支配されない人がいるでしょうか?
自分が苦労して成し遂げたもの、手にしたものに執着するのであれば、それがどんなに霊的なものであれ、価値はありません。
なぜなら、執着とは、間違ったエゴそのものだからです。
よって、本当には何も成し遂げてはいないのです。
実在、一大原理は、苦労して手に入れるものではないのです。
それは、すぐここにあるものなのです。
それは誰にでも、何にでも開かれている聖なる原理なのです。
それは、自分自身が何かを握りしめているからつかめないのです。
そう、ここで戻ってきます。
だから、自分の… という偽りと対決しなければいけない理由がここにあるのです。
いいでしょうか?
そして、誰もがこれを嫌がります。
さらに進める人は、本当に少なくなります。確かに、霊的なことに興味を持つ人は多いでしょうが、これ以上先に進めません。
なぜなら、彼らにとっては、ここが終点だからです。
多くの人にとって、自分だと思っている自分、自分の所有物を、自分が手にしているものを見た途端、踵を返してしまうのです。
自分をより良くしたい人にとっては、このことは、私の話は受け入れられません。
さて。
あなたは、どうでしょうか?
(おわり)
【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス