彼らが崇拝する高貴の姫君とは、単なる偶像だと。
本物でも何でもないものを彼らが信じていることに、彼女はどれほど驚いたことでしょう。

高貴の姫君とは、格好だけよくし、見栄えだけにとらわれたおぞましき人形である。

彼らが定義する高貴とは、意識を進歩させた存在ではなく、見栄えだけのことをいっているわけです。

全て格好だけ。見栄えだけ。
生きる事は、取り繕うこと、型にはまることを意味し、その結果、命の流れを断ち切ることにつながります。

彼女の名づけの宴が催されたとき、彼女は参加したいのに参加できませんでした。
それが風習だから。
しかし、自分のためのものなのに、自分が参加できないものに何の意味があるというのでしょうか?
彼女はそれに疑問を持ちました。当たり前です。
現代でこんなことをしたら、ほとんど狂っていると思われます。
バカじゃないかと思われます。
しかし、この当時は誰も疑いをもちませんでした。
なぜって、誰も疑わないし、それが”当然”だから。
その結果、そのようなことがおかしいとは、全く気づけないのです。

誰かが決めたルールに盲目的に従う。
これが催眠でなくて、何なのでしょうか。

「自分が関与しもしないところで、あずかり知らないところで決められたことを受け入れる必要なんてまるでないんだ。そんなものを受け入れてはならん」

ドンファンは、このように言っていました。
これは、当たり前のことなのです。
私には、彼が言っていることが突飛とも思いませんでしたし、間違っていたり、変な事を言っているというようにもまるで思いませんでした。

それよりも、「やっぱりそうだったんだ」という強烈な共感の感覚のほうが強かったのです。私には、人生でまるで出会えなかった存在(それが本の中だろうと)にやっと会えた、という安心感を感じました。

なぜなら、私もドン・ファンと同じ理解だったからです。
小さかった時から、私はこのようなことを言って周囲の人を困惑させていたのです。なぜなら私には、到底理解できなかったからです。

これは、いつまでたっても解消されない感覚でした。
大人になれば、彼らのような生き方が出来ると思ってがんばっていましたが、皮肉なことに距離はどんどんと開くばかりだったのです。

かぐや姫も、同じ感覚を持っています。
そう。目覚める存在というのは、往々にしてこのようなことを当然として生きているのです。
それよりも、なぜ周りの人は、こんなわけのわからない生き方をしているんだ?と全く理解できない心境のまま、生きていくのです。

なぜなら、そのような存在は、いわゆる集合意識の催眠にかからないだけの強さを持っているからです。ここで強さといいますが、実際は悲劇と言えます。なぜなら、この世界では、催眠にかかっていたほうが楽に見えるからです。

彼らは、自分自身の本性を、故郷を忘れることが完全に出来ないのです。
それは、神にとっては祝福ですが、この世界、間違ったエゴにとっては、地獄を意味します。

(つづく…)

【レベル】:ホワイトクラス~ユニティクラス