よくテレビやネットで、
「女優の~さんが、がんになりました」
「アスリートの~さんが、こういう病気になっちゃいました」
だとか、そういうニュースが流れているのを見るかと思います。
ほとんど毎日、そういうニュースで溢れているような気もします。
私は、ネットでそういうニュースについて詳しく調べているわけでも、テレビもないため、テレビでどういう報道調査が行われているのか観ているわけでもないのでわからないのですが、ともかく今回は、こういうニュースについて見ていこうと思います。
ただ、最初に言えることは、私がまだテレビをかろうじてでも見ていた記憶では、これから私が明らかにしていく内容について、聞いたことがない、ということです。それだけは、確かです。
なぜなら、もし見たり聞いたりしていたら、はっきりと覚えているはずだからです。覚えていない、ということは、当時の私の意識レベルに何の影響ももたらさなかった、ということになります。
そもそも、私は報道番組やワイドショー的なものを敬遠して見ていませんでしたが、それは、明らかに意識レベルがあまりに低すぎるからに他なりませんでした。
そういったものは、私の進化には全く役立つ内容でないことは明らかでした。
けれど、当時の私は
「いや、これは意識のレベルが低すぎる。あまりにも幼い。だから、見る必要なんかない」
というような意識的な選択をしていたわけではありません。
ただ、見るのがなぜか無性に嫌だった。
朝、学校に行く前にそのような番組がついているのが無性に嫌だった。
それだけでした。
両親は、そういう類の番組を見るのが大好きでしたが…。
そのような全容がわかったのは、目覚めた後のことです。
ちなみに、このことはまた別のテキストで触れるかと思いますが、そういったテレビの報道番組やワイドショーを好んで見る人は、往々にして、目覚め、悟り、覚醒といった霊性の復活には縁遠い存在であるかと思います。
なぜなら、それはあまりにも意識レベルが低いからです。
霊性の復活の道を歩む者は、そもそも人間の平均的な意識レベルに満足できない状態になっていなければならないからです。
テレビそのものが、いわばそのグループ(ここでは日本という国)の平均的な意識レベルがどこにあるのかを示す物差しのようなものです。
ですので、好んで、あるいは盲目的にそういう番組を見ているということは、その意識レベルを好んでいる、ということになります。
もちろん、これは全てそうだというわけではありません。
なぜなら、神に至る道は、無限にあるからです。
何がきっかけで思い出すかは、まったく把握できるものではありません。
あるタイミングで見たワイドショーの画面や誰かの一言が、あなたに突き刺さり、目覚めに繋がることは、十分あることだからです。
ただ、ポイントは、好んで、あるいは、盲目的に、というところかと思います。
目覚めと盲目は、正反対にあります。
もし、このテキストを読んだあなたが、そのような番組を習慣のように見ているとしたら…。
私は、それらを見る事を止めるようにはいいません。
だって、どうしようもないから。
ただ、この内容を受け入れられればいいな、と思うだけです。
なぜなら、それだけでタイムラインは変わっていくからです。
さて。
話が若干逸れてしまいましたが、今回、フォーカスしたいのは、
「~さんが、がんになってしまいました」
的なニュースについてです。
このようなニュースはもう、違和感しかありません。
なぜなら、そのようなニュースは、突如、だしぬけに現れるからです。
「~さんが、がんになってしまいました」
以上。。。
そこで、このニュースがリリースされた後には、
大変だ!!
どうしよう!!
悲しい!!
生きぬいてください!!
こんなのばっかです。
というか、これしかありません。
そして、悲しいムードが漂い、月日が経って、その方が亡くなってしまうと、
あぁ、なんてことだ!!!
って感じになるわけです。
毎回毎回毎回毎回マイカイまいかい、これの繰り返しです。
これは、完全なる無限ループですが、誰もそれを指摘しません。
なぜなら、これが無限ループになっているとは気づけないからです。
このような文章を見た後、間違ったエゴは、こう言うかもしれません。
「だってしょうがいないじゃん。それ以外に何があるっていうんだ!?」
と。
もし、あなたが読みながらこういう風に思っていたとしたら、それはチェックテストにひっかかってしまっている、ということになります。
では、ここでのポイントは一体、何でしょうか?
それは、誰も原因を追究しない、ということです。
◎がんになっちゃった
↓
◎大変だ。病院で必死に治療しよう
↓
◎死んじゃった。以上。
これは、完全に狂っているのですが、誰もそれが狂っているとは思いません。
なぜかというと、みんな狂っているからです。
ここは、確かにバイオハザードの世界なのです。
この世界は、とにかく結果に振り回されて犠牲になって死んでいくことを求められているのです。
だから、結果しか見ません。
よくわからないけど、とにかくがんになっちゃった。
という結果だけです。
なぜそうなったのか?
誰も、興味を示しません。
その原因について、本当の原因は見ない世界なのです。
なぜなら、その原因が明かされれば、結果はなくなるからです。
結果とは、つまり、この世界があなたに要求していることが成り立たなくなることです。
すなわち、「苦しんで死ね」
です。death.
これが、私が観察し続けてわかった、この世界のデフォルトルールです。
よく観察してください。
誰それががんになっちゃった、というニュースの後、何が起こるのかを。
気をつけよう、なんとかかんとか。
とか。
こんな症状が出たら、要注意。
だとか。
こんなものばかりです。
気をつけようなんとかかんとかは、わからない未来についてのことです。
原因がわからないのだから、気をつけるしかないのです。
あれしてこれして、そうやって予防してください、と。
で、もし忠実にそれを実行して、それでもがんになっちゃったら、どう責任をとってくれるのでしょう?
お気の毒に。でも、自己責任ですから。
これでお終いになります。
あるいは、それらを忠実に実行して、違う病気にかかっちゃったら、その人になんて言ってあげるのでしょう。
知らんぷりです。
私たちがよく知っている、この社会おきまりの礼儀作法です。
こんな症状が出たら、要注意。
これも、既に結果です。
原因ではありません。
そこで、この世界は、あれやこれやの原因をまくしたてるのです。
あの食品が悪い、この食品が悪い、この薬が悪い、あの薬が悪い。
その生活習慣が悪い、この生活習慣が悪い。
こうして悪いものリストを挙げ続け、それを見させられている方は、もはや絶望しかありません。だって、対処できるはずもないから。
間違ったエゴは、このような策略をとって、無限ループに押し込め続けるわけです。
原因を見ないように。
探さないように。
探してもいいけど、見つけられなくしてやる。
というわけです。
あなたは、今、どうでしょうか?
このテキストを読んで、気分が悪くなっているでしょうか?
無性に反論したくなったりしているでしょうか?
「そんなことはない。良い所だってあるはずだ」
とそんな想いに駆られているでしょうか?
もしそうなら、そう思っているのは誰なのでしょうか?
それは、あなたなのでしょうか?
それとも、あなたは単に自分だと思っている自分に眠っているだけなのでしょうか?
さて。
このように、この社会、世界は、本当の原因を見ません。
たとえば、ある俳優や芸人や誰ががんになったとして。
なぜそうなったのかを調べません。
報道はしません。
あるいは、原因を言えば、それが責任問題に繋がると思っています。
そして、もしその原因が間違っていた場合、責任をとれないから、言わない。という言い訳も使います。
ですから、とにかく逃げたいのです。
その人ががんになって報道しても、そもそも逃げたいわけですから、愛の欠片もありません。
であれば、実は、本当には悲しんでなどいないのです。
それが、間違ったエゴの本性です。
だから、単に結果を教えるだけです。
そうすれば、人を恐怖の中に閉じ込めておけるからです。
がんになったのは、食べ物でも、遺伝子が傷ついたわけでも、血流が悪くなったからでもないはずです。
それらは、原因ではありません。
なぜなら、それらが原因なら、それらを変えれば100%誰でも治るはずだからです。
治らない、結果が変わらないのなら、それは原因が明かされていない、ということになります。
ここで、この世界に100%なんてない、という誰が言ったのかもわからないのに、そういう普遍的に見えるだけの言葉を盲目的に受け入れて踊らされている人が、このように言うかもしれませんが、
100%はあるわけです。
なぜって、実際に100%、その俳優やらアスリートはがんにかかっているわけですから。
そして、がんという結果は、一つとして結果に出ているのですから、原因も一つしかあり得ません。
あれやこれやの複数の要因が重なって…。
なんていうわけがないのです。
結果が一つなら、原因も一つだけなのです。
そうではないでしょうか?
ですから、間違ったエゴは、この世界は、原因を無数にあるように見せかけて、カモフラージュさせて、あなたの正視を奪い去るわけです。
いいでしょうか。
この世界は、これを、このことをばらされるのを絶対的に嫌います。
なぜって、これを受け入れれば、この世界は崩壊してしまうと思っているからです。今までの統制が無駄になってしまうからです。
でも、しょうがありません。
夢は、いつかは終わらなくてはなりません。
始まったものは、終わりを迎えます。
それは、実在しないのですから、本来ないものがなかったと忘れ去られるだけなわけです。
ですから、この世界は、原因を知らないし、見ないのです。
なぜなら、この世界は、本当の原因がない世界だからです。
見せかけの原因は存在しているように見えるだけで、本当の原因はありません。
その証明は、垂れ流されている日々のニュースにあるわけです。
さて。
ここまで読んで、皆さんは何かに気づかれたでしょうか?
あるいは、反論したくなったでしょうか?
あらを探したくなったでしょうか?
もちろん、このテキストは、この世界をやり込めたくて出しているわけではありません。その無能さを嘲笑したくて書いているわけでもありません。
そして、世界を変えようとして書いているわけでもありません。
これは、私がこの世界を観察していてわかったことであり、単なる事実に過ぎません。(夢の中の、ですが)
そして、くどいようですが、私があなたに伝えたい一番のポイントは、そのような世界に、あなたは一体何を期待しているのだろうか?
ということなのです。
あなたが見ている世界は、本当にあなたを幸せにしてくれますか?
あなたが見ている世界は、本当にあなたに安住の地を約束してくれますか?
こんな感じの世界なんすけど…
ということなのです。
もちろん、これを読んでも、皆さんはこのことを100%受け入れることは出来ないかもしれません。
けれど、このテキストという種は蒔かれていて、実際はもっともっと前から蒔いてはいるのです。ですので、それを受けいれられる程度に応じて、いずれ本当の理解という芽が出始めることになります。
そうなってくれば、そのような世界がなぜ生まれたのか?
一体、何のために生まれたのか?
あるいは、先述した本当の原因とは一体何なのか?
といったことが、別々の答えではなく、一つの答えとして見えてくるようになります。そのために、私は、ここでこうしてテキストをあげたり、クラスを開いてたりしています。
今回は、この展開している夢の世界がいかに原因をスルーするのか?
その具体的な例として、しょっちゅうニュースでリリースされるがんになった方々の報道について取り上げて、適用してみました。
今後も、よい例があれば、取り上げて適用していこうと思います。