ここで私は、事あるごとに、エゴについて言及しています。

私が言えることは、エゴを十全に理解する、ということは、何にも増して、重要だからです。

もちろん、これは私が通ってきた道ですので、これが唯一の道ではありませんし、
唯一の方法でもありません。

しかしながら、私は、私自身が経験してきたことしか、語れません。

ここで話していることは、学問ではないのです。

学問とは、つまり外側のことです。
学問とは、つまりあなたが直接体験できない、究極的には価値のないものです。

私が経験して言えることは、エゴをしっかりと理解することが最も重要なことです。
もちろん、それが脚本に書いてなければ、それは起こらないでしょう。

そして、あなたがエゴを理解しようとする時、絶対に学問に頼ってはいけません。
そうしてしまったのなら、あなたは出口のない迷路に入り込むことになります。

エゴが作り上げたエゴのためのものより、自分自身の経験から学んでください。
そこに、マニュアルはありません。
法則や学説は、一切必要ありません。

必要なのは、あなたが自分自身の経験からだけ学ぼうとする姿勢だけです。

ここで、私は何度もエゴの性質に触れていますが、これさえ簡単に捨ててください。
私の話より、自分の経験を生きてください。

ではなぜ、私がこうしてエゴについて触れているかといえば、
それが何をもたらしたかを、あなたに伝えているのです。
それをすることで、私がどんな結果をもたらしたかを、あなたに伝えているのです。

もしあなたが準備が出来ているのなら、間違いなく文章から感じ取れるはずです。
いわゆる文章力がないかもしれません。けれども、ここには、普段の生活では、普段の幻想の生活では絶対に嗅ぐことの出来ない香りがあることに気づけるはずです。

『解脱の真理』においても、いかに我を理解することが重要かを説いていました。
ラマナ・マハルシもまた、心の性質を絶対的に理解することが重要だと言っていました。
ドン・ファンをはじめとする呪術師も、エゴを理解することの重要性を説いていました。

本当のことを言っているものは、全てみな、同じことを違う言い方で指摘しているのです。

私自身の経験では、一度死んだあと、私は、理想とするものについては、瞑想などの修行を通しては、絶対にたどり着けないことを理解しました。

誰に言われたのでもなく、ただそれがわかりました。

そして、恐らく、この自分だと思っている自分、エゴ、我、個人というものの
性質を完全に理解する道に進むことになるだろう、ということを知ったのです。

これは、私にとっては、好ましくない結論でした。
私としては、むしろ瞑想をしていたほうが、まだよかったのです。

では、なぜこの道、エゴを知る道を通るのが嫌だったかといえば、そこにマニュアルも、儀式も、伝授も、法則もないのがすぐにわかったからです。

先にあげたものたちは皆、自分でやって、自分でわかれ、と言っているのです。
回答のない、単なる指示だけだったからです。
もちろん、彼らは知っていました。
けれども、回答を出すことで、形骸化することを防いでいるかのように、見事なまでに、説明がありませんでした。

ですので、この道に嫌でも進んでいこうとしている自分を見て、非常に気が重くなりました。

「とんでもないことばかりが、起こるんだろうな」

もちろん、私の予感は、的中したわけです!!

しかしながら、結果はどうだったかといえば、私は間違ってなかったのです!!

そして、彼らは正しかったのです!!

ですので、私は、この道しか語れないのです。

もしそれがあなたの脚本に書いてあるのなら、そうなるでしょう。
そして、私が結果を出したことと同じように、あなたも結果を見出すのです。

こういうわけで、私は、こういうやり方であなたを励ましているのです。

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス
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