あなたは、幸せになれません。

もし「私は十分幸せだ」というのなら、それはただ盲目なだけなのです。
幸せな人は、誰もいません。

幸せそうに見える人は、吐いて捨てるほどいますが、幸せな人はいません。

私たちが幸せだと思っているのは、確実に一時的な状態なのです。
砂の城が幸せの住処だと勘違いしているだけなのです。

砂の城は、いとも簡単に崩れていきます。
それは、絶対ではありません。
そうなったとき、その人は自分が感じていた幸せが失われていくのを見て、絶望して死んでいくのです。

この幻想の中自体には、本当の幸せは見つかりません。
私が見出したことは、こういうことでした。

幸せとは、素敵なパートナーを見つけることだと思っているのなら、絶望的に勘違いしています。
幸せとは、きらびやかで誰からも一目置かれる仕事や会社で働くことだと思っているのなら、絶望的に勘違いしています。
幸せとは、より多くのお金に囲まれて生きていくことだと思っているのなら、絶望的に勘違いしています。
幸せとは、豪華な家に住むことであると思っているのなら、絶望的に勘違いしています。
幸せとは、毎日豪華な食べ物、好きな食べ物に囲まれて生きていくことだと思っているのなら、絶望的に勘違いしています。
幸せとは、自分の趣味嗜好をやりつくし、それに囲まれて生きていくことだと思っているのなら、絶望的に勘違いしています。
幸せとは…

そう、もしかしたら人の数ほど、このリストを続けられるかもしれません。

このような幸せは、完全に間違ったエゴが設定した条件に基づいているのです。
そのような条件は、常に空間と時間の支配下にあり、まさしく一時的なものに過ぎません。
時が来れば、それらはもろく崩れ去っていくだけなのです。

けれども、ほとんどすべての人たちは、このようなものが幸せであると思っています。

現れては消えていくものを必死に追いかけ、捕まえ、拘束しようとただあがいているのです。これが、展開されている間違ったエゴの人生です。

私には、幸せは必要ではありません。
まったく必要ではありません。

私が幸せになるために、この世界で必要なものは何一つありません。
なぜなら、私はすでに幸せだからです。
その場所から、動いたことすらないことに気づいたのです。

私はある日、自分が幸せになるために駆けずり回る必要がないことに気づいたのです。

ある日、突然としてわかったのです。

自分を幸せにしようとすること、それが絶望的な人生なのです。
そして、誰もかれもがこのことに全く気付かぬまま、人生を送っているのです。

あなたは、幸せになれません。
なぜなら、既にそうなっているのですから。

これを頭の理解、公式としてとらえることではなくて、
直接理解にたつこと、事実それを見出さなければなりません。

【レベル】:ユニティクラス