目覚めることが起きた後、一体何が起こるのか?
今回は、その一例について触れていきます。
今までも、このことについては沢山言及してきましたが、再確認も含め、もう一度見ていきたいと思います。

これまで結構な回数のクラスを行ってきたわけですが、その中で、目覚めが起きた方々というのは、結構いらっしゃいます。

で、面白いなと感じたのが、彼らは、ある事について共通して言及するのですね。
それは、

「ちーさん、ここ最近、すごく面白いと思ったのが、前は結構、恐れや不安があったんですが、なぜかそれがなくなっているんです。今では、死ぬことさえ、あまり怖いと感じなくなりました」

と。

彼らが共通して、なぜか恐れがなくなっている、ということを話してくれるのです。
控えめに言って、素晴らしすぎませんか?w

「今までだったら、怖くていろいろと準備したりしていたはずなのに、まったく怖くなくなってしまった」

彼らは、共通してこうシェアしてくださるんです。

で、クラスで彼らが語る言葉は、概念ではなく、自分自身の直接体験から語るため、そこに力が宿っているので、参加されていて、まだ目覚めが起こっていない方々も、その言葉に打たれるわけです。そして、打たれた結果、そういった方々も次々に同じ状態になっていく、という事が起きてきました。

では、なぜ私は恐れがなくなっていくことをそんなにも重要視しているのでしょうか?

彼らが共通して言う、「ちーさん、恐れがどんどんなくなっていくんです」ということが、なぜ重要なのでしょうか?

それは、その方が、自分自身の本性に目覚めたからです。

それは、こう言い換えられます。

「かつては、自分が体だと思っていたが、そうではないとわかった。」

ということの反映として、「恐れがなくなったんです」という言葉で表現されているのです!!!!

彼らがこのことを自覚しているかどうかはわかりませんし、それは問題ないことですが、彼らは、自分を体とみなすことをやめ、本当の自分自身に心を開いた、ということを言っているんです。

その結果、当たり前ですが、恐れがなくなっていくわけです。

なぜなら、基本、恐れは常に体に紐づいているからです。

なので、彼らは目覚めた、と私は言っているのですね。

この世界において、恐れをなくさせる薬なんてありません。
バファリンも葛根湯も、どんな薬もワクチンも、恐れをなくさせる力なんてないんです。

よく考えてみてください。
偏微分を学んで、あなたの恐れはなくなったでしょうか?
もちろん、十分習得して、赤点をとらないといった、ある程度の恐れはなくなったかもしれませんが、それだけです。
根本的な恐れについては、偏微分は何も解決できません。

同じように、Excelで複雑なネストを学んだり、プロシージャの構成方法や配列を知ったり、Accessでクエリができるようになることで、怖がらなくなったでしょうか?
もちろん、仕事での恐れは幾分、なくなったかもしれませんが、ただ、それだけです。
根本的な恐れについて、偏微分同様、何も解決できないのです。

これらの例は、延々と並べることができます。
皆さんも、自分自身の夢である人生で何を学んできたか、そしてそれらが、根本的な恐れを終わらせてくれたか?
それらを学んだことで、人生で怖い、と思っていたことが、まったく怖くなったかを調べてみてください。

驚くべきなのは、アドヴァイタを学んでも、ひたすら瞑想やヨガに明け暮れ、チャネリングを学んだとしても、インドに行ったりしても、恐れはなくならないのです。私は、こういうことに熱心な人たちをたくさん見てきました。
そして、誰一人、いませんでした。
もし、これらが本当に有効であるなら、それらを実践する誰もが、根本的な恐れの消失を経験しなければいけません。
しかし、そうではありません。
つまり、そういうことなのです。

こういったものすべて、アドヴァイタからExcelや車のマニュアルの操作方法などにいたる全ては、一見頼りにできるように見せかけて、恐れを再延長させているだけにすぎません。
いえ、往々にして、さらに増強させているわけです。
それは、夢を続けさせる(怖がらせる)ことが目的で、夢を終わらすことを目的としていないからです。
だからこそ、私は世界それ自体に救いなんてない、と何度もお伝えしている次第なのです。

けれども、あなたを苦しめてきた恐れ、怖がらせてきた恐れは、本当の本当、あなたの本当の姿を前にすれば、かくのごときに消え去っていってしまうのです。つまり、本当の薬とは、あなた自身に他ならない、ということなのです!!!

彼らは、このことに気づいたのです!!!
目覚めた彼らは、もはや私を必要とすることはもうあまりなくなっていくでしょう。
あんなに恐れていた恐れそれ自体を、いとも簡単に消し去ることができるのは、外ならぬ自分自身、神である自分自身なのですから。どうして、他人に頼る必要があるのでしょう。というわけです。

もちろん、わたしにも、そして彼らにもまだ体は現れています。
ですから、体に関することは、悲しいかな、まだまだこの世界の手中にあり、それに頼らざるを得ないことも多々あるでしょう。
けれども、決定的なこと、つまり恐れそれ自体に対する処方箋を、彼らは手に入れたのです。

率直に言って、すごすぎる偉業ではないでしょうか!!?

以上のことから、目覚めについての基準の一つは、いかに恐れがないのか?
かつてはあったのに、気が付いたらなくなっていた。
恐怖が、生活の中でどんどんどんどんなくなっている。

こういった状態になっているかどうかで、果たして自分自身が目覚めたのか?そうではないのか?
といったことがわかります。

ちなみに、恐れがなくなっていることに関して、年だから、と考える方もいるかと思います。
でも、もし年が原因であるのなら、ある年齢に達したら、その年齢になった人、それ以上の年上の人はみな全員、その恐れがなくなっていないといけません。でも、実際はそうではありません。

ですから、年だから、ということではありません。

私がこうして皆さんを導いているのは、結果として一切の恐れがなくなることにあります。
それこそが、自由だからです。
一切です。一切なくなること。
怖い、ということが知らない状態になること。

眠っている普通の人間はたぶん、私が狂っている、と思うはずです。
ええ、あなたがいま、こうして読んでいて、「こいつ…。いかれ…」と感じたのなら、つまり、そういうことです。w

私は、この人生という悪夢で、常にこういう風に思われてきたので、よくわかっていますwww
「おまえ、頭がおかしいんじゃないか」
何度、言われてきたことでしょうw

ですが、このサイトになぜか訪れ、なぜか無性に心に響くのであれば、あなたが望んでいることもまた、同じなのです。

あなたも、どんどんとこのプロセスを進んでいくことになります。

以上、今回は、この辺で。