ご存じのとおり、カスタネダは、ドン・ファンのもとで、沢山の奇妙な体験をすることとなりました。

なぜ、彼はそのような体験をし続ける事になったのでしょうか?
それは、目を覚ますには、時に劇薬が必要だからです。
自分だと思っている自分、個人であることの眠りは、簡単に破られるものではありません。

それがそんなに簡単なら、この世界はとっくにこういう在り方をやめているはずです。

この個人という催眠は、解くことが出来ません

ですので、とてつもない状況を差し込まなければけないのです。

そうすることで初めて

「俺が見ているものは、一体何なんだ?なぜ、こんなことが実際に起こるんだ?」

と現実の定義が揺り動かされるのです。

こういわけで、ドン・ファンは、集合点を移動させて、カスタネダの現実を拡大させたわけです。

カスタネダは、完全に理性の人でした。

私達はすべて理性の檻にいるので、さして珍しいことではありませんが、カスタネダは、その度が過ぎていた、ということです。

何を経験し、何を見ても、常に科学的なアプローチで説明しようとしました。
彼は、科学的なものしか知らなかったからです。
彼にとっては、科学が神だった。つまり、そういうことです。

全ては科学によって説明できるという凝り固まった人間だったのです。

論理が通らなければ、それは本当ではない。
再現性がなければ、それは本当ではない。
根拠やデータがなければ、それは価値がない。

カスタネダは、こういう人でした。
しかしながら、”通常の社会人” であれば、これはさして珍しい在り方ではありませんし、そう聞いても、驚くこともないでしょう。

問題は、それについてもちろん疑問すら感じたことがないので、他という要素すら想像がつかない、ということです。

彼は、説明のつかないことをなんとか自分の解釈系統にゴリゴリと当てはめて、自分に言い聞かせていました。

このような人間に対するドン・ファンの処方は、自分が信じている現実の脆さを見せることで、彼の信念体系を壊していかなければいけなかったのです。

ドン・ファンのもとで、何を見ても、何を経験しても、それでも彼は、体験を自分の信じてきた物差しではかろうと何度もしました。

これを、私の知っているあれこれの概念に当てはめれば、どういう説明がつくだろう?

こういうことを、彼はドン・ファンがいてもなお、ずっとずっと行っていたわけです。

【レベル】:ホワイトクラス