もちろん、ニサルガダッタ・マハラジやラマナ・マハルシなどについても取り上げているので、それを見て、来られるようです。
ただ、私は、アドヴァイタに関心があるかと言えば、全くありません。
なぜなら、それは単なる概念だからです。
私に起こったことは、結果としてアドヴァイタだった、というだけで、アドヴァイタだから信じて進んだ、ということは全くありませんでした。
ですので、アドヴァイタという単語を知ったときですら、「へー、そうなんだ。」ぐらいの感想しか持ちませんでした。
間違ったエゴは、とにかく名前、ラベルが大好きです。
ラベルを貼り付けられれば、それで満足、という傾向が見受けられます。
たとえば、体の具合が悪くて、医者から、これは何々病だよ。
と告げられれば、妙に納得してしまうのです。
その何々病が治らなくても、ともかくラベルを貼ることが大切なようです。
では、なぜラベルを貼ろうとするのでしょうか?
もちろん、みなさん、わかりますよね?
これは、みなさんへの問いかけであり、宿題です。
さて、このように名づけられたアドヴァイタですが、
私が言えるのは、アドヴァイタありきではいけない、ということです。
私は、アドヴァイタだけでなく、呪術師であるカスタネダやドン・ファン、トバイアスやラムサ、聖・ジャーメインなどなど幅広く、言及しています。
それは、本物であれば、表現やアプローチが違うだけで、
本質的には同じことを言っているからです。
私はむしろ、その共通性を見抜いて欲しいです。
大切なことは、本質的なことであって、ラベルや概念ではありません。
アドヴァイタなどの概念ありきになって、この道を進んでいくと、間違いなく罠にはまります。またもや、騙されるのです。
この困難きわまる最強に危険な道を歩む際、はっきり言えば、励みになるものであれば、
何だっていいのです。
それが道中、あの概念はいけない、この概念は正しい、などというまたしても悟りの中でのある種、縄張り争いというか、正しい間違っている戦争が始まってしまうのです。
なぜなら、所詮間違ったエゴだから。
この道を行く者は、より開いていなければいけません。
アドヴァイタに固執する必要もなければ、呪術師に固執する必要もないのです。
ただ、自分の励みとして使うべきものです。
ニサルガダッタでさえ、自分がどこの流派に所属しているか、ほとんど気にしていなかったはずです。それは、問題ではないのですから。
今回は、みなさん、大丈夫かとは思いますが、念のため、おさらいさせていただきました。
【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス