私が見てきた限りで言えば、驚くべきことに、年齢を重ねていけばいくほど、人はどんどん醜くなっていく、ということがわかりました。

この醜くなる、というのは何も容姿のことではなくーもちろん容姿も醜くなっていくのですがーそれとともに、どんどんと在り方が餓鬼の状態に、幼稚な状態に落っこちていくのです。

もちろん、これはすべての人にあてはまるものではありませんが、ほぼすべての人はそのように落っこちていきます。

これは、本当に驚くべきことです。

社会には、敬老の日、というものがあるぐらい、年配を敬う精神が浸透しているのですが、実際は、とんでもない間違いです。
これは、彼らが何かを成し遂げてくれて今があるのだということで感謝しろ、敬えという日にしているような気配がします。彼らの貢献に対しての感謝の気持ち、というわからなくもない押し付けですが。
がしかし、何かを成し遂げたことに対してであって、今彼らが、ではありません。

しかしながら、求められるのは、過去何をしてきたか?ではなくて、今どういう状態なのか?それしか求められていません。
そういった意味で、それに気づけないのは、いかに社会がとてつもなく低いところで機能しているのかをよく現わしていると言えます。

確かに年をとっていけば、それだけ知識が増え、寛容さが増し、
心を広げ、自分自身の理想へ更なる飛躍を目指すことになるかと思いきや、
現状、この世界で繰り広げられていることは、全くその逆です。

年齢と成熟さは、私が見る限り、完全に反比例しています。

私自身、これには本当に本当にびっくりしています。

まず、このことに不快な感じを受けるならば、外に出てみて、大人たちの話に耳を傾けてみることをお勧めします。それでもわからなければ、それは残念ながら仕方ないことです。

周囲の人間、たとえば家族を見ると、本当にそのような状態になっていることがわかります。

60歳になろうと70歳になろうと、人は大抵動きません。
自分の進歩段階をあげていくような試みはまず起こりません。
起こるのは、どんどんと醜くなっていく、ということです。

みな、自分自身の信念の檻に入ってしまっていて、自分が檻にいることすら、
全く気づけません。

本当は、その檻を壊さなければいけない、その檻から出なければいけないのですが、
観察した限りでは、起こることは、その檻をもっと頑丈なものにしようとするようです。

この観点で言えば、ホーキンズが人は、人生において、意識レベルを5ポイントも
上げることはできない、と書いていたようですが、誠にそのようなのです。

私たちは、ここでエミール大師などが触れていたように、個人のままどんどん年を重ねていき、頭は雪のような色に染まり、体は思うがままに動かなくなっていくこと、あらゆるものに執着し、欲望にすがりつき、自分の考えに固執すること、自分の過去の経験にすがること、記憶にすがることが、これらが本当にすばらしいことなのか?それに対して、敬意を表して、老人の体(てい)であることを敬わなければいけないのか?

ということが、甚だ疑問になってくるのではないでしょうか?
もちろん、社会はこのことに無頓着です。わかりませんし、気づけません。
なぜなら、社会はそのようなレベルに至っていないからです。

しかしながら、この文章を読んでいるようなあなたは、違います。
これは、何ももちあげようとして書いているのではなく、実は、それは責任なのです。
それは、責任を取れるかどうか、ということなのです。

個人のまま、このような状態になっていくことは、はっきり言えば、地獄のような
ものです。私は、今まで参加されてきた皆さんに、必ずこのことを伝えます。

私たちは、ここにおいて、本当に真剣にならなければいけないのではないでしょうか?
そういう意味において、実はそんなに悠長に構えている暇はないのです。

実在は、神はすぐここで実現しているのに、私たちはあさっての方向を向いて
生きています。それは、本当にそうなのです。

また、翻って、なぜ老齢になっていけばいくほど、人は醜くなるのか?
その理由として、大きなものがあります。

その一つは、体です。自分自身の体が醜くなっていけばいくほど、コントロールできなく
なればなるほど、人は自信を失い、悲嘆にくれ、痛みにもだえ苦しみます。

そうなると、老齢前から続いていた犠牲者意識が増しに増し、死への恐怖と伴に
手がつけられなくなってくるのです。

また、得ることではなく、どんどん失うことが自分の人生に襲い掛かってくるので、エネルギー的に空っぽになっていき、自分の人生を悔いることしかできなくなってくるのです。

そこで人は、誰か、何かを指差して、「~のせいだ」と決め付けていくのです。
私が見る限り、こうなれば、もう人生は終了しています。

本来、見るべきもの、触れるべきものであったはずのものは、あまりのエネルギーの足りなさから、それははるか遠い彼方、絵空事というものになってしまい、その代わりに、現実の厳しさ、つらさ、苦しさだけと触れ合い続けることになり、
それを他者にも強制するようになっていき、最後には死んでしまうのです。

これが繰り広げられていることなのです。

あなたは、どう感じますか?このことに、根拠はいりますか?
根拠を求める以上に、非難をしたくなる以上に、そうではなくあなたの何かを打ちますか?

そうであるなら、焦る必要はありませんが、今まで以上に真剣にならなければいけません。すべては、あなたの脚本次第ですが、その脚本に協力していかなければいけません。ここでこうして読んでいることすら、とてつもないチャンスだとしたら、あなたは次に何を決意しますか?

【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス