その原因を、もう一度繰り返し説明したいと思います。
何度も同じ事を繰り返し話しますが、それは非常に重要だからです。
エゴは、繰り返さないとすぐに忘れますのでw
聖なる症状シリーズにおいて、前回は、仕事がなくなることについて言及しました。
ここで私たちが見るべきことは、至高を見出すためには、自分が持っていると思っているあらゆるものを失っていく、ということです。
これは、個人が何かを得られる話ではないのですね。
何かを得ることではなく、失うことが常態となるのが、ここで起こってくることです。
霊性の領域に入り、至高を見出すことが決定づけられているのならば、それは失う道に入っていく、ということを意味するのです。
なぜなら、今までは人間でした。人間性にどっぷりつかっていたわけです。
仕事、健康、富、名声、体を基本としたあらゆる快楽に浸かっていたのです。
これらは、全て人間に属します。
しかし、精霊の訪問が起こり、ひとたびあなたが人間の王国以外のもの、霊性を垣間見ることで、あなたはその王国を離れることを決意してしまうのです。
空を飛ぶには、地面から離れなければいけません。
重荷を背負い続けたまま、空を飛ぶわけにはいきません。
空を飛ぶためには、まずあなたが軽くなっていなければいけないのです。
つまり、それはあなたが、何も持ってはいない、ことを意味するのです。
こういうわけで、それは得るため、つまり重荷をさらに増やすことではなく、より身軽になっていくために、不必要なものをどんどんと捨て去るプロセスが必要なのです。
こうやって概観をみてみれば、これは非常に理にかなっているのです。
筋が通っている話です。
しかしながら、まだまだ個人だと思い込んでいるがゆえに、このすべてを捨て去っていくプロセスは、耐え難い苦しみになるのです。それは重荷でしたが、あなたを支えていてくれたわけです。その支えがなくなったとき、それは軽くなっていることを意味するのですが、その軽さがエゴには耐えられないのです。
あまりに軽いのでふーーーっと飛んで行って、消え去ってしまうのではないか?
「私」の保証は、どこにあるのか?
そうやって、うろたえるのです。
この全体性が、聖なる症状の本質です。
さて、そのような仕組みの中では、仕事を失ってしまうことが典型的な事象になるわけです。
そして、今回は、なぜ私たちは経済的に豊かになれないのか?
その大きな原因の一つを、もう一度おさらいします。
当然、発見者はお金について、非常に困った状況に置かれます。
なぜなら、仕事が失われるわけですから。
仕事ができなくなってしまうのですから。
基本的に、お金の供給源は仕事にあります。
どんなにつまらなかろうが、くだらなかろうが、喜びのかけらも感じられなかろうが、朝きちんと出勤して、決められたことをやって、決められた行動をしていれば、口座にお金が入ってくるのが、この世界のシステムです。
それが断たれるわけですから、その流れがストップしてしまいます。
ですので、発見者の基本は、お金に苦しむ時期が延々と続くのです。
ただ、私がわかる限りですが、このような合一への道に入っている方は、仕事をしていない、お金がないように見えるからといって、仕事が出来ないわけではなく、往々にしてその逆です。
非常にバランスがとれた仕事をされるのですね。
なぜなら、合一の道に入るという事は、人間の仕事をほとんどマスターしているからです。
ですので、非常にバランスがとれているのです。
そのバランスは、もちろん仕事にも適用されます。
逆に言えば、彼らにしてみたら、この世界の仕事は物足らなさすぎるのです。
しかし、この世界のほとんどすべての人は、それに満足しているのです。
苦しむことに、愚痴を言うことに、不平不満でいっぱいであることに、被害者、犠牲者であることに満足しているのです。
彼らは、もちろん、このことに気づいていません。
こういうわけで、発見者は仕事を失うので、芋づる式にお金の流れを失い、窮地に立たされるわけです。
さて。
以上が、なぜ合一の道に入ることで、こんなにも経済的に苦しむのかの構造的な原因になります。
さらに、多くの方が、
「それでも、もう少し経済的に豊かな人生を歩むことができないのか?」
と切実に感じるのは、実は、社会の中にその原因があるのではなく、私たち自身の脚本にあるわけです。なぜなら、私たちは、世界が提供するすべての物に飽きてしまっているのですから。だから、彼らがくれるものは、欲しくないのですね。
そして、多くの方たちが、なぜもっと豊かな生活を送ることが出来ないのか?について、見落としている点もあるのです。
それは、この世界を夢として見ていなく、まだ現実として受け取っている、ということです。
合一の場所は、夢の中ではありません。
私達は、夢から覚めることを目的としていて、夢の中で楽しむことが目的ではありませんでした。
ですので、経済的に豊かな生活を送りたい、と願うことは、危険なのです。
この世界は、私たちが思っているよりずっと危険です。
隙があれば、すぐに取り込まれてしまう、催眠にかけられてしまうのです。
私達が経済的に豊かな生活を送ることで、私たちはまたしても夢の中で眠ってしまうこともありえるのです。なぜなら、経済的に豊かな生活は、ある種の快楽であり、快楽を通しては、気づきが得られないからです。
私たちは、そのことを実は知っているのに、知らないのです。
ですので、あなたである神、真我はそうならないように見事に人生をコントロールしている、ということが実情です。
発見者は平均的な人間を大きく超えて進歩した存在ですが、まだまだ個人、エゴであるがゆえに、それが見えないのですね。
つまり、それはまだ個人、エゴであって、神なる私を許していないことを意味するのです。
そのハカライに無知で、心を閉じてしまっているのです。
こういうわけで、神、真我は知るべきことはすべて知っています。
よって、嘆く者である個人が経済的な豊かさを手にしたら、どうなってしまうのかを非常によく知っているのです。だから、そうならないように見事にデザインした人生を送っているわけです。
もちろん、それは個人にとっては、悲劇的な話ですがwww
このような理由から、
「経済的に豊かである、もう少し潤いのある生活」
が縁遠いものとなるのです。
ここであなたが宣言していることは…
「私は物質的に豊かな暮らしよりも、やっぱり合一をとる。神をとる」
ということなのです。
単に、そのことに無意識なのです。
そして、そのような宣言ができる存在というのは、まったくいない。
ということです。
誰もが、この逆の事を宣言しているのです。
そのことをよく覚えておいてください。
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