私は、始まりがありません。

私は、始まったわけではありません。

それが、私です。

さて。
私たちが私であるものに目覚め始めると、瞑想や座禅や呼吸法、ヨガなどありとあらゆるものを行うようになります。

それは、私であるものに目覚め始めれば、その本性とも言えるエネルギーを渇望するようになるからです。

もちろん、私はエネルギーではありません。

しかしながら、まだ個人である発見者はエネルギーとして、それを求めようとしてしまうのです。

瞑想などを行っていけば、非常に静かになります。
そして、日常では得られないようなエネルギーを感じることもあるでしょう。

そのようなことをし続けて行くと、このような教えに出逢うことになります。

「止まりなさい。今すぐ、止まりなさい」

マスターの多くが、このようなことを告げるのを聞いた事がありますか?

誰かは忘れてしまいましたが、このことを読んだ時、
私はひどく狼狽しました。

「今すぐ、止まりなさい。静かにしなさい。」

これは、一見、素晴らしい教えに聞こえます。
しかし、私の経験とは違っていたのです。

私は、自分の意志で止まったことなどないからです。
止まる時は、いつも自分の意志が外れたときに起こることだったのです。

止めようとして止まれたことなど、経験上一度もありませんでした。

ですので、非常に葛藤しました。

「有名なマスターがそう言うんだから、間違っているはずがない。でも、私の経験から言えることとは違っている。一体、これはどういうことだ?私が間違っているのだろうか?たぶん、そうなんだろうけど。けれど…」

結論から言えば、自分自身の経験を最優先させることです。
どんなマスターが言おうと、神が言おうと何が言おうと、自分自身の経験を捨ててはいけません。

私は、彼らの言葉をしりぞけました。私は、彼らには従いませんでした。
自分自身の経験をとったのです。

そこからわかったことを、今こうしてギブアップの会を通して、皆さんに伝えています。

これは何も私が彼らより凄いとか、優れているとかいう話ではありません。
そして、もし自分自身の経験を優先させれば、またしても間違ったエゴが肥大化して、騙されるだけになるのではないか?という恐れも必要ないのです。

そうはなりません。

逆に、彼らに対しても、自分自身に対しても素直になるのではなくて、単なる盲信になることで、間違ったエゴが肥大化していくプロセスが始まるのです。

なぜなら、間違ったエゴは、個人は大きなものにくっついていたいからです。
これが、個人の、間違ったエゴの性質です。前回の話しの続きにもなりますが。

このことは、つまり、自分自身の経験や気づきを最優先させることは、とてつもないほどの勇気が必要になる、ということを言っているのです。その状況になれば、皆さんも嫌と言うほど、それがわかるでしょう。

ですので、この場においても、ギブアップの会で、こうして私が伝えていることと自分自身の気づきが違った場合、もちろん、ご自身の経験を最優先させてください。
ここは、盲信の集いではありませんし、催眠の集いでもありません。

ギブアップの会の目的は、目覚める事が起こり、次に私であるものを見出して、ついに自由である事、至高を取り戻すことがミッションです。
盲信や催眠は、正反対のものです。

さて。
私がわかったことは、個人に止まることは起こせない、ということです。

私達がすることは、止めようとするのです。
しかしながら、私が何であるかを知らないのに、どうして止めることが出来るのでしょうか?ということです。

個人というものは、言ってみれば、常に動きなのです。

個人の本質が何かを知れば、動きを止めようとしていること自体が動きであることに気づくわけです。

ですので、私たちが気づかなければいけないことは、止めることではなくて、止まることなのです。

止めるではなく、止まることは、つまり意志が外れていることを示しています。

止まることは、個人の環から外れた場所で起こることなのです。

その時になって、私たちはいつも止まっていて、動いているように見えるのは個人であることに気づくことになるのです。

この場所に対して、個人が出来ることは何もありません。

ですので、マスターが、「考えを止めなさい。いますぐ止まりなさい。」と言っても、だめなのです。個人の場から、これを理解し、実践しようとしても無駄な事なのです。

こういう理由から、私は皆さんに考えを止めようとしたり、間にあるものを見出すことを勧めることはしません。それをしているのが誰なのかが、一番の問題なのですから。
それは、自分が自分に対して単に力を使って強いているだけなのです。

もちろん、彼らは何も私たちを騙すために、このようなことを言っているわけではありません。

まず第一に、彼らは聞いている個人にそれを言っていないからです。
個人が出来ないことを知っていて、あえてそれを言っているわけです。

ではなぜ、そのようなアドバイスをするのかと言えば、彼らが力(聖なる)を持って、それを伝えることで、まだ精霊がやってきてない者に可能性を与えることが出来るからです。彼らは、実はとてつもない仕事をしているのです!そのように見えなくとも。

聞いている者が素直で純粋であれば、必ず止まることが起こります。
そこに聖なる同調が起こり、そして直接体験を通して知ることが可能になるからなのです。

だから、「止まりなさい」と彼らは言うのです。

もちろん、聞いている者にそれが起こると、個人でそれが出来たと勘違いし、またもやあさっての方向に進んでしまうのが常なのですが(素直で純粋であっても)、その体験は後々の大きな財産になることは確かです。

だからこそ、彼らはそれを全て知ったうえでやっていることなのですね。

ですので、私たちはまず、止めようとすることはポイントを外していることだと知ることが大切です。
私達が止めようとしたり、静かにしようとする時は、あがこうとしている時だと知りましょう。

こうして気づいていることに気づいていくようになることで、止まることが起こる土壌を創り出していることに繋がっていきます。

つまり、止まることが起こる、という時、そこには、何もする必要がない、ということと同義になるのです。そうすると、何もする必要がないのであれば、私とは一体何なのか?ということが、またしても提示されます。

これを地道に積み重ねていくことになるでしょう。

そして、機が熟すれば、ついに私であるものが顕現することになっていきます。

おわかりになりましたでしょうか。

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