相変わらず、写真はドクターペッパーではありませんが、気にせず続けていきましょう。
このテキストについては、グループミーティングなどで何回か触れてきましたが、先日のマスタークラスでも話す機会がありました。
この話から私たちが何に気がつかなければいけないのか?
私たちは、わかっていそうで実は往々にしてこの話のポイントの肝を取り逃がしているようです。
ですので再度、ここでこの話を取り上げ、皆さんの理解の助けになるようにしようと思います。
さて。
この話は、ドクターペッパーを毎日3本飲んでいる104歳の女性について、なぜ彼女はそんなにも不健康極まりない習慣をもっていながら、104歳まで生きれているのか?というものでした。
覚えていない方は、再度、ここから読み返してみてください。
ここでのポイントは、彼女に生活を改めるように注意していた医者のほうが、彼女より早く死んでしまっている、ということです。
恥ずかしいことこの上ありません!!!
医学の基準に照らし合わせれば、それは絶対に間違っているのですから、彼ら医者は指摘しているわけですが、結果として、それらの医学のほうが間違っている、偽りである、ということなのです。
ですので、医学とは、医学というのは、科学に基づいているのですから、科学とは何なのか?偽りでしかないものを、私達は頼りにする必要があるのだろうか?ということです。
いいでしょうか。
これを極端だ、とお思いになる方もいらっしゃると思います。
とりわけ科学的なものを信奉してこられたかたは尚更でしょう。
しかしながら、ここが受け入れられていないとこれから先には全く進めません。
もちろん、これまで通り科学を信奉し、ロジックが一番だと思い、分析し、つまり常に過去を気にしながら生きていくのが最良だと信じているのなら、それはそれで結構な事です。そして、当然のように振り回されて苦しんで死んでいくのも、また構いません。一向に構いません。
ただし、私が対象にしているのは、そういう催眠はもう嫌だ、と感じていらっしゃる方のため、もう本当のゴールを共有したいと望んでいる方々です。
さて。
もし科学こそ私たちが唯一信頼できるツールだとすれば、こんなことがあっていいはずがないのです。失敗があってはならないのです。一つも失敗があってはなりません。しかし、私が見てきた限りでは、科学は毎日失敗ばかりです。
ですので、こういう説明不可能な現象に出会うと科学は、いろいろなこじつけをするか、そもそもそんなものなかったこと、にしてしまいます。
ええ、臭いものに蓋をするわけです。
ここでのポイントは、科学そのものではなく、科学に対する私たちの扱い方、理解力が乏しすぎる、ということです。
非常に厳しいかもしれませんが、なぜこんなことを言うかと言えば、私たちが望んでいるのは、絶対だからです。
時々成功して、時々失敗する。
10年前までこう考えられていたが、今日、新たにそれが間違いだとわかった。
これを進歩といい、それに従うのは結構ですが、ゴールはどこで何なのでしょうか?そのゴールは、あなたが生きている間、元気なうちに達成してくれるのでしょうか?あるいは、お金がある人にしか、そのゴールを享受できない。そんなことにならないでしょうか?私には、そうは思えませんが。
そうです。
こういうものを信じ込んでしまうのなら、私たちは非常に不安定になります。私たちが望んでいるのは、安定や安心です。揺るがない安心感です。
だからこそ、私たちは全力で絶対を望まなければいけません。
そういう態度が当たり前のようになることで、私達は相対の上に昇っていけるようになるのです。
さて。
では、なぜ彼女は毎日ドクターペッパーを3本飲んでいながら、重病にもならずに104歳まで生きて来れているのか?
その理由は、彼女はドクターペッパーに完全に恋しているからです。
それが答えです。
恋をしている状態、すなわち愛している状態は、一つになっている状態です。この時、ドクターペッパーが悪いもの、健康に良くないものだなんて、考えられないのです。想像もできないでしょう。
また、反対に彼女は健康のために、健康に良いと思ってドクターペッパーを飲んでいるわけでもありません。そうするなら、彼女は間違いなく病気になっていたはずです。
良いとか悪いとか、そういう二元性を超えた状態にある時、病気がいる場所がないのです。病気がとりつくことはできません。
これが非二元です。これがアドヴァイタなのです。
だとすると、彼女はアドヴァイタをマスターしているということになります。まさか彼女がそうだとあなたは気づいていたでしょうか?
言ってみれば、ラマナ・マハルシやニサルガダッタよりも非常にわかりやすく、それをマスターしているという存在なのですが、間違いなく誰もが彼女がそうだとは気づかないでしょう。
あなたは、それに気づいて驚いたでしょうか?
さて。
そういうことです。
いいでしょうか?
私たちは、ここに達する必要があるのです。
彼女はドクターペッパーに完全に恋している、愛そのものとして接しているので、病気にはならず、むしろそれとともにいれる人生を謳歌しているのです。だから、104歳でも多少杖をつくぐらいで、元気にいられるのです。
このニュースが出たしばらく後、こんなニュースが目に留まりました。
「毎日ピザばかり食べていたアメリカのある男性が、沢山の病気を抱え込むことになった」
正確ではありませんが、要はこういうニュースでした。
ここで私たちは、その違いに気づけるわけです。
ドクターペッパーばかり飲んでいる女性は、104歳になっても病気にならず、かたや、ピザばかり食べていた男性は、多くの疾患を抱え込むことになった。
どうしてでしょうか?
どちらも好んで食べたり飲んだりしているのに、一方は長寿でしかも健康であり、もう一方は若いのに病気だらけだというのは、なぜなのでしょうか?その違いは何なのでしょうか?
彼のいきさつを読んでいると、なぜ彼がそんなにも多くの疾患を抱え込むことになったのか、よくわかりました。
彼は、日常のあれやこれやから逃げるために、ピザを食べていたのです。
つまり、ピザは逃避の手段だった、ということが私には見えました。
怖いから、恐怖感を持っているから、逃げるわけです。
それを中和する役目としてピザを食べていたわけです。
彼にとっては、ピザが助けてくれる神であり、つまり思い切りしがみつき、執着していた、ということです。
ピザを食べる時、彼が手にしているのは愛ではなく、恐怖でした。
よって、恐怖を食べ続けていたがゆえに、彼はたくさんの病気に見舞われたのです。
一方、彼女はドクターペッパーを手にしている時、恐怖でも理性的な判断でもなく、純粋な愛でした。愛を飲んでいるのですから、愛らしくなります。愛に病気の居場所はありません。よって、彼女は健康そのものなのです。
これが、根本の法則です。
おわかりになりましたでしょうか?
はっきりと絵が見えるでしょうか?
ちなみに、知ることを知るようになればなるほど、このように絵が一瞬にして見えるようになっていきます。理性や知性を使い、分析やらロジックに頼っている限りは、絵が見えません。知っている事、直接知ることは、一瞬なのです。覚えておくように。
さて。
問題は、はたしてあなたは、これを受け入れることが出来るか?ということです。この事実よりも、カロリーのよい食品やオーガニック、白米よりも玄米、ベジタリアンやヴィーガン、あるいは不食な生き方のほうが、真実だと思っているでしょうか?それは譲れないと思っているでしょうか?
そうであれば、あなたは必ず病気になって死にます。
それだけです。
そのような生き方をしていても何の問題もありませんが、病気になって苦しんで死ぬだけです。
なぜ、そう言えるのでしょうか?
なぜなら、健康のためによい食事をとる、ということは、既に自分が不健康だと認めているからです。
出発点が、不健康であるがゆえに、到着点も不健康になるのです。
このことが実はわかっているようで全然わかっていない方がとてつもなく多いのですが、あなたはこのことを理解しなければいけません。しなくても構いませんが。
本当に健康な人は、不健康という考えがないのです。
私たちが目指す領域、望んでいる領域は、ここなのです。
とはいえ、望まなくても全く構いませんが。
彼女を通して、いかに愛することが重要か、一つになっていることが重要か、身に染みてわからなければいけません。
これが、彼女がドクターペッパーを毎日3本飲んでいながら重病にかからず、104歳という驚くべき長寿を達成している理由です。
ここから、私たちはドクターペッパーを通して、本当は良い食事や悪い食事が問題ではなく、あなたがいかに神を実現するか、神のレベルに戻り、神と一つになることが重要かを再認識できるようになります。
それが、あなたの本当の義務であり、仕事です。
さて。
これは簡単ですが、簡単なミッションではありません。
ですので、私達は指針に基づいて生きることが賢明と言えましょう。
このレベルにまだほど遠い方であればあるほど、体が快活になる食事や飲み物をとったほうがいいことは明らかです。
「食べ物や飲み物は関係ない。愛が全てだ!!」
と頭の理解だけで突き進んで、ジャンクフードばかり食べていたら、当たり前ですが、体は機能しなくなります。
なぜなら、それは押付けであり、傲慢さという病的な態度になっているからです。だから、病気になります。
ですので、なるべく体が快活になるような食生活を送ってください。
それは、体を思いやる一つの愛の形ですので。
そして、そのような関係性を保ちながらも、私たちの本当の仕事を忘れずにいてください。
お忘れにならないように。
何を食べるべきかに固執しないように。
固執することは、病気です。
こだわりは、実は病気なのです。
何を食べるべきか、といったあらゆるこだわりや固執は、必ず押し付けにつながります。なぜなら、私たちは投影をもとにして生きているからです。
さらに言えば、存在していない体を気にかける必要なんて、まったくないはずだからです!!!
体を気にかけることで、それはあたかも実在しているようにしてしまうわけです!!!
こういったことが、このすべてです。
しかしながら、まず、皆さんのレベルからすれば、忘れてはいけないことを忘れずに、冷静で謙虚で素直で明るい状態で日常を送るようにしていくことが、実は一番の近道なのです。
(おわり)
【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス
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