さて。
今回はシェアシリーズということで、実際の事例を共有していきたいと思います。

今回ご紹介する方は、確かちょうど去年の今頃ぐらいに、初めてグループミーティングに参加された方になります。

結論から先に言ってしまえば、この方は、一年もしないうち、というか、半年ぐらいで、”思い出す” こと、いわば、わかっていると思っているだけで、実際にはわかっていなかった、ということが見える事が起こりました。(変な文章ですが、これが近い形になります)

たった半年強で。

思い出すことは、目覚めることです。

すなわち、この方は出会ってから、半年強で目覚めることが起こった、というわけです。

参加されている方々が全員同じように目覚められればいいのですが、なかなか難しい、というのが現状です。

とすると、ではなぜ、この方は、あっという間にーそれまでに半年強もかかるのは、もしかするとうんざりすることなのかもしれませんがー実現できたのか?

そのところを、誰もが知りたいと思うはずです。

この点については、テキストで何度も触れてきました。

☆背の高さと景色
☆何も実現しない原因
など

ですので、それらを読み返していただければいいのですが、復習の意味も含めて、ここでおさらいしたいと思います。

というのは、私たちはすぐに忘れるからです。
私たちは、根本的にフォーカスを違う場所に置いているため、それが出来ないのです。

ですので、私は何度も何度も、同じ事を繰り返して伝えています。
なぜって、間違ったエゴにとっては、これはもっともしてほしくないことだからです。それでは、回し車の中に押し込め続けられなくなってしまうからです。

さて。
では、なぜこの方は、驚くほどのスピードで実現してしまったのでしょう?

その原因の一つは、やはり総合的に準備が整っていたから、に他なりません。

人間的な部分においての進化度合いが行き着くところまで行っていたのです。

つまり、人間が提供できるものなんて、つまり偏差値が75ある人間が提供するものだろうが、有名なCEOが提供するものだろうが、有名な科学者が提供するものだろうが、有能な社員軍団が提供するものだろうが、なんだろうが、たかが知れている、ということにうっすらと気づき始めていたはずなのです。それを受け入れていなければ、これは起こりません。

人間そのものに限界を見る事。
これは、簡単そうに聞こえて、超絶に難しいことです。
もし、これが簡単なら、世界はこんな様相を呈してはいません。

そして、もしこれが簡単だと読んですぐ思ったのなら、要注意です。
それは、あなたがまだ人間的な部分において、まだまだやることが多く残っている、ということを示唆しています。

人間のやり方に限界を見る事で、初めて、降参(ギブアップ)できるのです。
人間のやり方に限界を見る事で、初めて、自分だと思っている自分の力の無意味さを痛感し、より高い力に心を向ける事が可能となるのです。

これが、起こる事です。

こうならない限り、人間の力を重視しているため、神に心を開くことは起こりません。というか、私自身の経験と多くの人を観察し続けてきた限り、そう言えます。

こういう人は、もう疲れきっていて、もうあまり余力がないのです。

あれも試してもだめだった、これを試してもダメだった。

何をしてもうまくいかない。。。。

そうした時、信頼できるものがフォーカス上にないため、初めてうぬぼれを捨てて、一番見たくない、見ないと決めていた存在と向かいあうことに覚悟を決めます。

これは、間違ったエゴにとっては、ほとんどそよ風程度のものとしてしか感じられません。つまり、自分だと思っている自分であるあなたにとっては、この覚悟を、覚悟として知覚する事は、たぶんできない、ということを言っています。

目覚めた後、全景を観ることが起こって初めて、「なんてこった!!」ということになるのです。

ですので、この方が、初めてグループミーティングに来るにいたって、このようなプロセスを踏んでいることは、たぶん全く気づいていなかったはずです。

事実、グループミーティングの最中も、そのことに意識的に気づいているそぶりは全く見えませんでした。

グループミーティングやクラスにおいて、私は何も特別な事は話していません。
単なる事実しか述べていなかったりします。

けれども、そのことに強烈な抵抗感が出る人もいれば、ストンと何の抵抗もなく受け入れることが出来てしまったり、なんだか懐かしいような、心に無性に響く人がいるのは、ここが違うところです。

ここに違いがあるため、結果の出方に差が生まれるのは、そういうことになります。

抵抗を感じる人は、いまだ自分だと思っている自分に自信を持っています。
それはつまり、この世界に大いに期待している、ということを暗示しています。

逆に、何の抵抗も感じない人は、もうほとんどこの世界に希望を感じていないのです。自分のやり方に、まったく自信が持てません。
かといって、それまでは、自信満々に生きてきたはずですし、実は、自信満々に生きてこなければなりません。それは、必須要素です。
その自信が完膚なきまでに打ち砕かれる事が必要で、それが人間的な部分での進化の行き着く所であり、これが総合的である、ということが意味していることです。

このように抵抗を感じないので、当然ですが、それは心を開いている、ということを意味しています。これが、二つ目の要因です。
さらに、もう抵抗していないので、素直そのものになっている、ということです。これが、三つ目の要因と言えます。

ここがミソです。

つまり、心を開くことや素直になることは、自分で強制的にそうならせることではない、ということです。自分で頑張って、素直になろうだとか、心を開かせようとすることは、まず出来ません。
私自身の経験から、そう言えます。
なぜなら、素直になろうとすることは、既に素直じゃないからです。
ですから、これは起こることなのです。

自分に強制すれば、強制されます。

それはもう、素直でなんでもなく、単なる悲惨なフリでしかありません。

そのような悲惨なフリをし続ける事で、もしかすると本当に心が開く事が起きるかもしれませんが、超絶に苦しい道のりです。

ですので、私としては、そのように自分をいたぶることは、ぜひともやめていただきたいと思うのです。

素直になる事、心を開くことは、自分だと思っている自分の力ではどうすることも出来ません。

ポイントは、あなたの手にほとんど力がなくなっていること、すなわちこの世界に何の希望も見出せなくなっている事、といった根本的な原動力が疑われ、失われることによって、このような状態に ”自然” となれるのです。

そうすれば、すでにそこにあるあの存在は、あなたの前に現れる事が出来るのです。それは、隠れていませんし、褒美としてやってくるのではありません。
すでに、そこにいるのですから。
問題は、神にあるのではなく、自分だと思っている自分であるあなたにある、ということを真に理解することです。

もし、そうなっていないのなら、抵抗感を感じるのなら、それはそれで仕方ないことです。
まだ、あなたは夢の中で躍り続けていたいだけです。

そして、なんとなくでもいいので、そういうことなんだな、ぐらいの感覚でほっておけばいいのです。
そのささいな受け入れが、実は、後ほど大きな果実となって返ってくるからです。

さて。
長くなりましたが、では、ここで、その方がいかに見い出したのか、そのお便りの一部を抜粋して共有したいと思います。


ようやく「わかった!」にたどり着きました。
今までの、言葉の上の理解ではなく。
というか、なーんだ、
最初からそうだったんだんですね。
わかろうがわかるまいが関係なく。
なのに、長いこと道に迷っていたんですね。
笑ってしまいました。
あれも無駄だった。
これも全然関係なかった。
何やってたんだろ笑
そして、この世界、めっちゃ良くできてる!!
全部が、優しさでできてる!!!
と、まるで初めて見るものみたいです。
ちーさんにも、感謝でいっぱいです。
でも、エゴの罠のすさまじさに、気をぬくとまた
ふと迷いの中に巻き込まれています。
だから、ビューティフルドリーマーなんですね。
ガッテンガッテン。


見い出した存在は、往々にしてこういう書き方をします。

私が今まで見てきた方全員に、共通していることです。

ここには、疑いなく突き抜けた理解があり、それは叡智と呼ばれています。

経験を通して、自分自身で理解する事。見る事。
誰かの言葉ではなく、誰かが作り出した概念をコピペするのではなく、自分自身の言葉でしっかりと理解を表現する事。

こういう人は、間違いなくかなり素早く実現します。
一方、常に誰かの言葉、誰かの概念、つまり有名な人が言っているから乗っかる的な人は、実現に多大な時間を要します。何十年では、足りないでしょう。たぶん、その人生では難しいといえるぐらいです。それは、単なる依存だからです。

なぜなら、あなたは神であるため、誰かを生きることなど出来ないからです。

私がこの人生で接してきたほとんど全ての人は、他人を生きていました。
いわゆる常識を生きているだけでした。
それが出来る社員であろうが、有能な人間だろうが、なんだろうが。

誰かを生きること、借り物を生きるのではなくて、まず自分(それが間違ったエゴだろうが)を生きる事、自分自身の体験、理想を描いて具現化していくのは、自分自身でしか成し得ないことを理解し、その通りに生きて行く事は、どうやら超絶に難しいようです。

その典型的な例は、既にテキストで触れましたが、サッカーの中田英寿さんや本田圭佑選手だったりします。

これは、いわゆるベースの前のベースに来なければいけないものです。
(このことについては、既にホワイトクラスのテキストの中で触れてきました。)

さて。
「やっとわかりました!!そういうことだったんですね!!」

実現した人は、よくこのように発言します。
こういう人を見ると、実現出来ていない人はたぶん、「いいなー、私もそうなりたいなー」と思うのではないでしょうか?

そして、たぶん、このお便りを下さった方も、かつてはそのように思っていたと思うのです。間違いなく。

しかしながら、かつてはそう思っていた、いいなと思っていた側であっても、このように、きちんと実現するのですね。

これは、いまだ実現していない人にとっては、誰にとっても朗報ではないでしょうか。

もちろん、先に挙げた原因もありますが、ちゃんと成果は出る、ということです。
もし今、「いいなー、私もそうなりたいなー」と思っていても、いずれ実現するのです。

ただ、ここで忘れてならないのは、私たちは止まる事は出来ず、常により高いレベルに向かって歩み続けていきます。
完全に夢から立ち去れる状態になるまで。
少なくとも、そこまでは間違いなく進み続ける事になります。

その証拠に、この方は、もう既に、

>でも、エゴの罠のすさまじさに、気をぬくとまた
>ふと迷いの中に巻き込まれています。

というように、既に新たな目標に向かって、歩き出しているのです。

思い出すこと、目覚める事というのは、こういう方を見ると、実に美しいです。

繰り返しますが、もし、まだ目覚めが実現していない、思い出せずにいるのなら、安心してください。

今回、ご紹介した人がいるように、あなたも必ず目覚める事になります。

なぜって、それしか求められていないから。
全ての存在の宿命だからです。
それは、実は出来るか/出来ないか、ではなくて、いつ実現するか?だけの問題だからです。

さらに、ではなぜ遅いのか?
まったくゴールが見えてこないのか?

と訝るのであれば、その理由の一端についても、ここで説明しました。

「もうわかっている」
と言わずに、本当かな?とささやかな自分だと思っている自分に対する疑念を持って下さい。

それは、本当の意味での謙虚さや誠実さの証であり、こういう態度がスピードをあげていくのです。

この方と、先日、お会いしたわけですが、お会いしてみて、

「ああ、この人は、本当につかんだんだな。あがったんだな」

と強く心を打たれました。

というのは、私がキーポイントとしていることを、私の方から説明しなくとも、その方が自らの状態や理解を伝えて下さったからです。

つまり、思い出すこと、目覚めが起こるということは、こうなるんだな、というはっきりとした状態を見せていただく事ができたのです。

そういうわけで、皆さんには、このシェアシリーズにおいて、ぜひともポイントをしっかりとつかんでいただければ、と思います。

ありがとうございました!