【原因】
では、なぜこのような状況に陥ってしまうのでしょうか?

それは、前回指摘したように、今までの通常であった感覚が失われているからです。
どこを叩いても、蘇りません。

朝、眠い目をこすりながら満員電車に揺られ、仕事場について挨拶をして、ミーティングや何やらかにやらをこなし、同僚たちとランチをし、また仕事に取りくみ、別段面白くもないし、生活するために、養うために嫌なことがいっぱいあっても、耐えて耐え抜いて、その日の終業を迎え、そこで終わるかとおもいきや、繁華街に飲みに出かけ、たとえ行きたくなくても、仕方ないから笑顔をとりつくろって参加し、そして夜遅くに、若干気持ち悪くなりながら、また電車に揺られて帰ってくる。帰ってきたころには、エネルギーを使い果たし、へとへとではあるけど、決められた作業、つまりお風呂にはいり、歯を磨き、そして寝床について、また朝を迎える。そして朝になれば、また昨日と同じ一日を繰り返すことに励んでいく。それをずっと続けていけること。

たとえ、それが子供のころのようなワクワクした感覚が皆無で、面白くもなく、充実感を感じなくても、それをやり続けることができる、といったあの感覚。

それがもう、なくなってしまっているからなのです。今までなら当たり前すぎて、モチベーションとも感じなかったあの感覚がなくなっています。よって、「おかしい。モチベーションが出てこない。なんだこれは!?」

というまるでひどい事故にあったような気分になるのです。
けれども、それは本当にひどい事故なのですね。

では、さらになぜあの感覚がなくなってしまうようなことが起こるのでしょうか?

その原因は、普通の生き方を吹き飛ばすような事象に当人が出逢うからです。
私は、それを精霊の訪問と呼んでいます。

自分が今まで現実であると思ってきたものを、粉々に粉砕する事象に出逢います。

ポイントは、自分の現実の尺度、基準が壊される、という点です。
大抵、それは幽霊などのような脚色されたものではなく、「この世界よりも、もっと美しく、素晴らしい世界が実はあるんじゃないか!?」

という気づきを伴うものです。

それはあまりに美しく、あまりに素晴らしく、自分が今まで馬鹿みたいなことをしつづきてきて、本当に後悔するのです。精霊は、それを私達に見せるのです。それは、後からしてみれば、だまされたように感じるかもしれませんが、実はそうではないのです。

その壮大な感覚が、私達の本性の部分と見事に一致するからこそ、私達はそれに同意するのです。

ただ、それと引き換えに、以前の現実、以前の生き方に戻れなくなってしまうのです。最初の橋が壊されてしまいます。

私達の災難は、戻ることが出来ないし、たとえ戻ったとしても、さらに絶望の人生を深くするだけだ、ということです。なぜなら、たとえ以前の現実に戻っても、それ以上の現実を垣間見ているので、常にそこが基準になってしまうからです。

戻る、ということは、後悔することにつながります。
よって、たとえ戻ったとしても、後悔だけに支配された人生になってしまい、さらに犠牲者意識の中で、以前より一層もがいて生きていかないといけないかもしれません。

(つづく…)

【レベル】:ゴールドクラス~ユニティクラス