この映画、この物語は、私たちが思い出さなければいけない事柄が散りばめられています。

ですので、話すことが非常に多くあります。

もちろん、今まで触れてきた題材も同様にたくさんのものが散りばめられているのですが、今回は、ご要望が非常に多いので、私が観てわかった限りのことを書いていこうと思います。ほんの少し長くなるかもしれませんが。

さて。
そこで最初にまず、なぜかぐや姫は竹から生まれてきたのでしょうか?

疑問ではないでしょうか?

竹とは、もちろん象徴です。

一年を通して色が ”変わらない”。
風にそむかず、しなやかではあるけれど、決して倒れない。
そして、驚くべき早さで、”まっすぐに成長する” こと。
竹の中は、空洞にも関わらず、非常に丈夫であること。
そして、この竹は、”よろずのことにつかひけり” というわけで、生活のあらゆるものを支えているのです。

このように、この物語の中でなぜ竹から生まれるのか?
かぐや姫、この世のものではないものは、どこから現れるのか?
どんな特質を持っているのかを、ここで語っているわけです。

色が変わらない、という不変の象徴であり、
同時に、すべてのものごとを受け止めることが出来る受容力の象徴。
どんな強風がやってきても、しっかりと根をはっているがゆえに(木でもないのに)倒れないほどの強さの象徴。
常識では考えられないほどのスピードで育つ、型破りという象徴。
その強靭さ、成長力の速さにも関わらず、中身が空洞である、という矛盾した”それ”の象徴。
竹が生活のあらゆるものを支えている、という土台としての象徴。

このように出だしだけで、この物語は、全てを言い尽くしているのです。

このような竹から出現したかぐや姫を観てみてください。

それはその通りに描かれていないでしょうか?

あっという間に成長し、成長するだけではなく、忘れてはいるけれど、この世の汚れたものが忍び寄っても、明け渡さない態度。何があっても、この世のものに染まりきらない在り方。また、あらゆるものを受け入れ、けれども不平不満を口にしない受容力と強さ。彼女の純粋さは、何も知らない空っぽを意味し、彼女には穢れ、汚れが無縁であることを意味している様が見事に描かれていないでしょうか。

竹取物語、なぜ ”竹取” なのでしょうか?
竹を取ること、その事の意味は、つまりあなたが実在をつかむことの重要性を気づかせるための物語だとしたら、どうでしょうか?

私には、まさしく”それ”を意図して書き上げている、としか感じられないのです。

(つづく)