さて、家庭教師として現れた相模は言う事をきかないかぐや姫に対し、ことある毎に、

「高貴の姫君たるものは…」

とお説教をします。

相模:「高貴の姫君たるものは、眉を剃らなければなりません。」

なぜ?汗が目に入るじゃない。それなのに眉を剃るなんておかしいわ。

相模:「高貴の姫君たるものが、汗をかくなんてことがあってはなりませぬ。」

相模:「高貴の姫君たるものは、歯を黒く塗らなければなりませぬ。」

そんなのおかしいわ!?
なんのために?それじゃ、笑うことすらできないじゃない。

相模:「高貴の姫君たるものが、笑うことなどあってはならないのです」

そんな…。
笑う事は自然なのに、それすら許されないというの?
そうです。
高貴の姫君たるものは、汗をかいてはいけないし、笑ってもいけない。
走り回ってもいけない。

これが高貴の定義であり、品の良い女性であるものの定義だというのです。

恐るべきことです。

つまり、不自然に生きることこそ、位の高い生き方だという事です。

かぐや姫がいかに絶望したか?
痛いほどわかるのではないでしょうか?

しかし、さらに恐ろしいことは、ここに登場するすべての人は、それがおかしいとは全く疑っていなかった、ということです。

これこそ、私が何度も強く訴えかけている所なのです。

誰もが疑っている事なんて、どうでもいいのです。
UFOがいようが、宇宙人がいようが、幽霊がいようがいまいが。

そんなことはどうだっていいのです。

それよりも、誰もが当たり前だと思っている事こそ、疑わなければいけないのです。
自分ですら当たり前だと思っていることを、いかに疑えるか?

これが来なければなりません。

現代の日本人が、この当時を訪れたなら、まさしくバカみたいなことを信じて生きていると思うはずです。

歯を黒くするなんて、狂気の沙汰だと思うはずです。
今、歯を黒くして会社に行ったら、完全にアウトです。
通用しません。

あるいは、逆に相模が現代社会に訪れたら、卒倒してしまうでしょう。
自分が信じていることのすべてが打ち破られてしまうのですから。

そうしたとき、自分の信念がいかに制限されているのか?
それに気づくわけです
こうしなきゃいけない、なんていう絶対のものなんてない、ということに気づくのです。

(つづく…)

【レベル】:ホワイトクラス~クリアクラス