さて、彼ら貴公子達は、こぞってかぐや姫の屋敷に押しかけ求婚します。

翁や相模は、このことを非常に嬉しく思ったわけです。

とりわけ翁にしてみれば、当然でしょう。
全ては、このために尽くしてきたのですから。

しかし、かぐや姫は彼ら貴公子達からの求婚をあっさりと拒否してしまいます。

なぜでしょうか?

翁や相模からしてみれば、全く信じられないことです。

この世で、身分が高い者、とりわけ右大臣や皇子といったものたちから求婚されることが、どれほど尊き幸せであるか?

それこそが、彼らが掴み取りたい座なのですから。

彼らと結ばれれば、もう安泰です。
ひもじい思いをすることもなく、高いところで安穏と暮らしていける特別切符が舞い込んできたのですから。

けれど、彼女はあっさりとそれを要らない、したくない、と払いのけてしまうわけです。

これは、何かに似ていないでしょうか?

千と千尋の千尋が、何があってもカオナシから金をもらおうとしなかったこと。仏陀が王の地位を捨ててしまったこと。

あなたがどんなに地位や役職、成功を保証されても、あっさりと拒否してしまったこと。

なぜなら、私たちは知っているからです。
それをしてしまう事の意味を知っているからです。

それをしてしまえば、夢の中に引きづりこまれます。
創りだしてしまった世界の中に私を明け渡し、そしてそれをした上で、世界に頭を下げて生きていくことによって、忘れてしまう事を。
完全に逆転した人生を歩んでいくことになることを。

彼女にしてみれば、これは全く持って信じられないことでした。

これは、全く信じられない狂気のシステムです。

会ったこともない男と結婚する。
会う必要はなく、男が申し出て、女がそれを申し受けて成立し、そこで初めて両者は出会う事になる。

そして、それが幸せの証なのだと言う。
高貴の姫君なら、出来るだけ早くそれ相応のものと添い遂げる事が何よりの幸せだと。

それ以外は、幸せではないのです。
幸せとは、そんなものなのです。

身分が高い人から、それも何人もの身分の高い者から求婚される事が女の幸せなのだと。
たとえ会った事も話したこともない人であっても。

これほど愚かな習慣があるのでしょうか?
現代からしてみても、これはかなり受け入れられないシステムはなずです。

「会ったこともないけど、年収はかなりある。
学歴もあるしキャリアもある。そんな人があなたに結婚を申し込んでいるから、結婚しなさい」

と両親から話を受けて、即座に喜ぶ人はどれだけいるでしょうか?

誰もが戸惑うのではないでしょうか?

もしこの習慣が進歩していて正しいものなら、今でもこの習慣にのっとっていることになります。

しかし、今ではそんなこと、ほとんどなされていないはずです。
なぜって、それはあまりにも幼いから。

しかし、その当時ではそれが当たり前だったのです。
当たり前だから、誰もそれを疑わない。
疑えない。彼女にしてみたら、なぜ誰も彼もがこのようなばかげたシステムに疑問を持てないのか?
まったく理解不能であり、恐ろしいほどの絶望感を感じたに違いないのです。

これは今でもそうなのです。
今、当たり前に行われている事がどれだけ常軌を逸しているか?
当たり前だから、誰も気づけないのです。

なぜなら、”ほか”というものが入り込む余地がないからです。
このことに気づけるのは、その集合的な意識のレベルを超えている存在だけです。
かぐや姫のように。

そして、その愚かなシステムがおかしいと指摘しても、「おかしいのは、お前だ」と受け入れず、あまりにうるさいなら、殺してしまうのです。
このようなことを、歴史上、日本のみならず世界中で
行ってきているのです。

ここは、そういう世界なのです。
ですので、あなたはこの世界の中自体に期待できません。
世界の中に救いはありえません。

こういうわけで、彼女は、当然のようにそれらの求婚をあっさりと拒否するわけです。

綺麗な着物を着て、おいしい食べ物を食べて、雅な生き方とはどんな生き方なのかを体験したいために、ここにやってきたわけではありません。

周りで食べる物もなく死んでいく人や動物について、何ら気に掛けることもなく、不自由を感じることなく生きることを感じたいためにここにやってきたわけではありません。

物に囲われて、その中で安心と幸せと平和を感じて生きるために、ここに来たわけではありません。

それが目的ではないのですから、そして、そんなことをしても意味がないから、無駄だから彼女はそれを却下するのです。

(つづく…)

【レベル】:ホワイトクラス~ユニティクラス