全身でわかることの恩恵
このように、全身でわかること。頭だけの理解ではなく、概念ではなく、全身の細胞全てで理解することが起こることによって、あらゆる恩恵にあずかることにつながっていきます。
そのうちの一つが、自分を卑下すること、低く見積もること、自分をだめだと思い込むことがなくなってくる、ということです。
その方は、それまで本当にたくさん努力してきたにもかかわらず、自分には期待しているものが何も起こらない、奇跡も起こらないし、素晴らしい体験とは無縁だと力強く仰っていました。
私には、その方が妙に自分を責めていること、低く見ている事、疑問や猜疑心にかられていることがずっとずっと気にかかっていました。
これは、皆さんが思っているよりずっとずっと危険なのです。
ここで問題なのは、当人がそのことにもはや全く気づいていない、ということなのです。
自分を傷つけることが、「日常、当たり前。習慣」になってしまい、空気と同じようなものになっているのです。
(しかし、いまや、私はずっと気づいていました!と仰るかもしれませんねw)
しかしこれは、私がいつもくどくど指摘している、個人として眠っている事と何ら変わりがないのです。
まず、いかに自分で自分を傷つけているのか、卑下しているのか?そのことに、自ら気がつかなければなりません。
その方によれば、前回のガイドを通した一連の体験と、そして全身でわかることが起こった後、それまである種デフォルトになっていた自分を必要以上に叩くことをしなくなった、というのです。
「そんなことを言っている自分が馬鹿みたいに思える」と、素晴らしい微笑みをたたえて、仰ったのです。
ああ、通り抜けたんですね。
それは全て、全身でわかること、概念ではなくわかることがわかることを通して、それが本当だった、ということを、自ら体験し、立証したからに他なりません。
こうなると、自信を通り越して、当たり前になるのです。
その方のお話を聞いていて、私は非常に嬉しい想いでした。
自分を見下したり、低く見積もったりする生き方を変えることは、本当に難しいことです。ほんとは簡単ですが。
そのような在り方のまま、ほとんどすべての人は、一生を終えてしまうのです。
しかしながら、こんなにも短期間(助走期間は長かったですが)でこのような理解、このような変性を遂げられること、その途方もない美しさを間近で拝見させていただき、非常に嬉しい想いでした。
今では、この方だけではなく、多くの方がご自身の体験を報告してくださっています。
突然として気づくこと。
世界が止まる事。
時間の連続性から外れて、瞬間的にわかること。
全身でわかること。
まずは、このような体験を自分自身にたくさんたくさん与えてください。
そうすれば、もっともっとあなたが何者なのか?
それがわかっていきます。
そしてついに、私であるもの、あなたの本性に出逢う瞬間がやってくることになります。
(つづく…)