実際は、何も知らないのです。
自分が何も知らない事を知ることで、私たちはやっかいな重荷を降ろすことが出来るのです。
では、知らないという事を知るということを、もっと掘り下げてみていきましょう。
☆知識に本当の価値はない
この世界では、知識がとりわけ重要となっています。知識があればあるほど、人として優秀だとされています。
逆に知識がなければないほど、人生は不利に働き、バカにされるのです。
法律の知識、科学の知識、ビジネスの知識、医学の知識、コンピュータの知識などなど、ありとあらゆるところに知識があり、その知識を知っていればいるほど、重宝される事になります。
しかしながら、わたし達は、本当に知っているのでしょうか?
知っているのなら、わたし達は、何を知っているのでしょうか?
私が人生を生き、観察した結果から言える事は、たとえどんな知識があるにせよ、究極的には、一つを除いて、どんな知識も価値がない、ということです。
ただ一つを除けば、どんな知識も価値がありません。
こういうことを言うと、目くじらを立てる人が出てくるでしょう。
目くじらを立てるのは、自分が知識によって有利に生きてきたからです。
なぜ、知識に価値がないのでしょうか?
なぜなら、誰もが知識によって、生まれたわけではないからです。
知識によって、死ぬことを免れることが出来るでしょうか?
知識が、体の痛みを即座になくしてくれるでしょうか?
知識は、表面的な人生を助けてくれるかもしれませんが、それだけです。
最終的には、間違いなく彼に裏切られます。
知識によって、有利に生きてきてしまった人は、ある意味、知識を神のように思っているのではないでしょうか?
知識によって成功していると思っているのが、この世界ですから、まずは疑ってみましょう。
☆例えば、宇宙について
例えば、宇宙についてみてみましょう。私は、宇宙について、ほとんど何も知りません。
星座の位置も知りません。一般教養としては、低すぎるぐらいの所にいます。
けれども、見てみましょう。
天文学者からしてみれば、私はかわいい無知な男性という事になります。
「いいかね、これから宇宙の素晴らしさについて、あなたに教えてあげよう」
彼は、親切にもこう教えてくれるかもしれません。
けれども、彼は宇宙の何を知っているのでしょうか?
私たちの銀河系は、どこに向かって動いているんですか?
何の為に、動いているんですか?
その行き着く先には、何があるんですか?
この質問に答えられるでしょうか?
そうすると、全てこう答えが返ってきます。
「~だと思います」
「~だと考えられています」
「~だと思われます」
「~だと言われています」
こんな感じです。
これらは、一体何でしょうか?
突き詰めれば、これらは単なる推測、憶測に過ぎません。
つまり、知らないのです。
つまり、わからないのです。
自分は、知っていると思っていても、実は知識の大半が借り物であり、推測や憶測の産物でしかないのです。
私たちは、自分が生きているという感覚は、100%あります。
そこに、思われるだの、考えられているだのといった、表現はありません。
よく言われるのは、「私たちはわからないから、知ろうと努力しているんです。
その努力をバカにされる覚えはありません」
もっともな事です。そして、バカにもしていません。
けれども、その知識の行き着く先を知っているのでしょうか?
その知識の本当のゴールは、何でしょうか?
ゴールを知らないのに、知ることに執着するのは、ばかげている事です。
余りにも滑稽です。
そして、その滑稽な姿が賞賛されるというのは、実に奇妙な事です。
(つづく…)