日本の経済発展に欠かせないものの一つが車だから、このようなニュースが現れるんですね。基幹産業ですから。
若者達が車に興味を示さない。
じゃあ、興味を持つように彼らの関心にそったものを提示しよう.
そうすれば買ってくれるんじゃまいか。
買ってくれれば、経済は回っていき、安泰だから。
これが基本的な動機になります。
これが自動車関連産業の思惑です。
そして同時に、この国の、集合意識の思惑です。
たしかに、車は経済にとって非常に重要なポジションを占めているんだと思います。
なぜって高くて、なおかつ多くの人にとって必要とされるものだから。
それは不必要なものではなくて、生活する上でなくてはならないものだから。それが100円とか500円のものではなくて、新車となれば、百万単位のものであるがゆえに、経済効果は非常に高いわけです。
買ってくれないと困るわけです。
今までの経済社会が回ってきたのと同じように回ってくれないと。
そうしないと、車が売れなくなった経済損失をどう補えばいいのか?
新しいものを作ったのに、それを買ってくれないと困るのです。
非常にやっかいなことになるわけですよね。
こんなことは、もちろん誰にでもわかるわけです。
月収を上回るようなものだから、多くの人は借金をしてまで車を購入するわけです。
それほどのものを何千万の人々が買うわけですから、経済効果はすさまじいものがあるのでしょう。
けれども、そもそも借金をしてまで買う必要があるものなのか?
ということに、賢明な若者たちは気づき始めたのです。
実は必要なんてないんじゃないか?
ということに、賢明な若者たちは気づき始めたのです。
この国の集合意識は、そのことには気づかれたくありません。
それは、本当に気づかれたくないのです。
ですから、彼ら若者をだますために、ありとあらゆる罠を仕掛けています。
その大規模なフィッシング詐欺の一つとして、このように痛車を教習者にして、彼ら若者が車を欲しがるように仕向けているのです。
さて、ここでフィッシング詐欺という単語を使いましたが、それはどうしてでしょうか?
それは、そのままだからです。
ここでは、彼ら若者をいかにイメージで釣って食いつかせるか? が勝負のポイントだからです。
釣り糸にえさをつけて海や川に、それを放り込みます。
そして見事、そのえさにひっかかった魚は釣り針が口に突き刺さり、苦しみます。
その苦しみは、自分がひっかかった罰なのです。
ひっかかった罰として、苦しむのは当然だ。
というのが、この世界の間違ったエゴの取り決めです。
そして、最後には喰われて死ぬのみです。
この大規模なフィッシング詐欺も同じです。
価値がないからこそ、CMなどでキラキラと光らせなければいけません。 そうしないと、魚と同様に、視聴者は喰いついてくれませんから。
そして、そのイメージに喰いついてくれた人は、ローンという苦しみを味わいます。そして、苦しみながら払い、そしてその苦しみによって維持されているのですから、その所有していると勘違いしている車を綺麗に保ち、必死で守るわけです。傷つかないように。汚れないように。誰にも盗ませないように。こんなに苦しんでいるんだから、この苦しみは誰にも渡さない。
というわけです。
ですから、この世界は、完全に常軌を逸しています。
そして、この苦しみをこの社会ーあらゆる国ーは、よしとします。
というより、それが目的なのです。
イメージで釣って、苦しませ、苦しみながら死んでもらわないと、この世界は成り立たないからです。
”苦しんで、死ね”
というのが、この世界のルールです。
このことを、この意図を世界は知られたくありません。
これを知られると、崩壊するしかなくなるからです。
ですが、残念ながら、時すでに遅しです。
私が気づいてしまったのですから。
さて。
ですから、彼ら若者は、そもそも借金してまで買う必要があるのか?
という肝心なところに気づいたのです。
騙されなくなっているのです。
ここで、多くの人たちは、そもそも若者がお金がないから買えないんじゃないか?興味をもたないんじゃないのか?
と考えているようですが、違います。
しかし、この考えはその人たち自身に向けられなければなりません。
なぜなら、若者がお金がない、ということは、他の誰かが持っている。
ということを、暗に示しているからです。
では、他の者たち、とは誰の事なのでしょうか?
そう、もちろん、若者以外の大人です。
このように言う人たちは、お金を持っているのです。
けれど肝心な事は、彼らは自分が持っているお金を共有しようなんていうつもりはさらさらない、ということです。
自分でしっかり握りしめ、管理し、お前たちなんかにやるものか。
俺たちは仕事をし、義務を果たして、苦しみながらこの金を得ているんだ、お前たちも同じように苦しめ。義務を果たせ。
と言っているのです。
そして、必死に握り締め、若者達が自分以上に豊かにならないようにしながら、それでも彼らが車を買ってくれるよう罠を仕掛けているのです。
一緒に苦しんでもらわなければ困るのです。
そして、誰もが、そもそもなぜ義務などというものがあるのか?
その義務とは、一体誰が決めたのか?
私は賛成した事など、一度もないんだが。
賛成した事も、説明を受けたこともない事を、なぜ受け入れなければいけないのか?
ということに気づかないのです。
これが、かぐや姫と翁、相模との決定的な差なのです。
なんという世界でしょうか!?
なんという世界を私は夢見たのでしょうか!?
さて。
では、なぜ若者は車を買わなくなったのでしょうか?
そして今では、車だけではありません。
たくさんの若者の~離れが問題視されているのです。
大人は、これがさっぱりわかりません。
いろいろ ”おなじみの頭” で考えますが、さっぱり原因がわかりません。
頭がよく、スマートな時代のはずなのですが、どうやら全くスマートに解決できないようです。
なぜなら、もしわかっているのなら、本当の対策がたてられるわけで、うろたえることもなくなります。このような~離れなどのニュースは流れなくなるのです。
なぜ若者が車から離れていっているのか?
なぜテレビがつまらないと言われるのか?
なぜ新聞がとられなくなっているのか?
なぜ雑誌が売れなくなっているのか?
なぜ音楽がかつてのような勢いをもたないのか?
なぜ映画がつまらなくなってるのか?
全部、同じ理由です。
このことついては、かつてここで指摘した通りです。
【世界シリーズ】テレビが見られなくなった理由
つまり、意識のレベルがあがってしまったからです。
車に関して言えば、彼ら若者は、以前の若者のように物だけに価値を見いだすことのバカバカしさに気づいているのです。
何度も言っているように、自分をかっこよく見せるためとしてのツールとして車は選ばないのです。
それは、あまりにも費用対効果が悪いからです。
何十年前の若者は、このことに気づきませんでした。
完全にイメージに催眠をかけられて、車こそ最高のツールだと信じて疑わなかったのです。車こそ、自分のステータスを現すものだと。
そして今でも、彼らは気づいていません。
けれども、今の若者はそれよりも上のレベルにいるのです。
体の年齢は若者のほうが下ですが、本当の年齢は若者の方が、いまや上なのです。それが、今なのです。
彼らは、車以上に重要なことに気づき始めているからです。
そして、このことに今の大人は気づいていません。
未だに自分たちの方が立派でしっかりしていて、成熟していると勘違いしているのです。これこそが、幼稚さの典型的な症状です。
だから、幼稚な大人は彼ら大人な若者の興味や関心をリサーチし、なんとか催眠にかけ、むりやり車と彼ら若者のリンクを再接続させようと試みているのです。
彼らは、それしかやり方を知りません。
なぜなら、彼らは自分達が罠にかかった方法しか知らないからです。
罠にかかった方法をアップデートすることで、彼ら若者を釣り糸にひっかけようとしているわけです。
それは、エイリアンが増殖するやり口と同じであり、バイオハザードのゾンビと同じやり口です。
こうしてみれば、この世界がいかなるものなのか?
鮮明すぎるほどにわかるのではないでしょうか?
あのような映画は、自分達がそうだから、そう作るのです。
そして私たちは、あの映画を観て、自分たちに恐怖する、というわけです。
ここに救いはありえません。
これは完全に無限ループであり、ゾンビやエイリアン自体は解決策を持たないのです。それは、まさしく個人としてのあなたのことを言っているのです。
もしここまでで、いらいらしたり、反感などを即座に感じるのであれば、それがチェックテストです。
さて。
本当の問題は、人間は、集合的な間違ったエゴは、意識を扱えない、ということなのです。せいぜい、潜在意識とか顕在意識といった、既にラベル化され、自分たちから生まれ出て認めた上位の存在(つまり偉い学者など)が体系化した構造しか扱えません。
それは、全然違うのです。
なぜなら、それらの体系化された構造が本当に役に立つのなら、このような~離れなどという問題が起きないからです。
ですから、起こっている事は、彼ら若者の意識のレベルは上がってしまっていて、彼らが求めているニーズを大人が理解できず供給できていない、というそれだけのことです。
そして、大きな視点から見れば、この流れはじつに適切です。
もちろん、間違ったエゴの催眠は非常にずる賢く、戦略的にも優れていますので、罠にかかる若者もちらほら出始める事になります。
しかし、大局的には問題ありません。
収まるべきレベルにきっちり収まっていきます。
さて。
私はこのサイトで、事あるごとに世界について触れています。
世界がどのような在り方なのか?そのレベルについて言及しています。
しかし、ここで絶対に勘違いしてはいけないのは、だから世界が悪いんだ、ということではありません。
私が正しくて、世界が間違っている。
というのは、催眠の一番深い根です。
それは何もわかっていないのと同じ事です。
反対方向に向かった催眠です。
問題なのは、なぜそのような夢を見たかったのか?
それが問われなければいけない最大の問題です。
もし世界が間違っていて、私が正しいのなら、それは見ている者と見られている対象物が別々のものだ、ということを暗示しています。
そして、さらに私よりも世界の方が大きい、ということさえも暗示しています。
これが完全に倒錯した間違ったエゴなのです。
ここには、何の智恵もありません。
何の救いもありません。
単にダークサイドに落っこちただけです。
そして、この闇の部分は非常に魅力的なのです。
正しい、間違っている。
善と悪
勧善懲悪ほど、間違ったエゴの餌はありません。
卓越した探求者、ライトワーカー、呼び名はなんでもいいですが、このような者達さえ、簡単にこの罠にはまるのです。
そして、罠にはまり、ダークサイドに落ちた事さえ気づかないのです。
ですから、私はここでこうしてお伝えしているのです。
【レベル】:クリアクラス~ユニティクラス