早速、お便りを共有していきたいと思います。
普段、こういうメールを見ても、ほとんどの人は何気なく読み進めてしまうと思いますが、非常に重要なことを語っているため、共有したいと思います。
以下…
(…略)
> それがきっかけで、お金と言う幻想に騙されて
> 人間が右往左往している絵が見えました。
> お金には実体がなかったんですね。
> 言葉で説明は難しいのですがきっと、ちーさんなら理解してくれると思うのですが
> 存在しないお金の為に人間たちが争い、心配したり守ろうとしたりしている
> ある種、滑稽な絵が見えました。
(以下、略)
> それがきっかけで、お金と言う幻想に騙されて
> 人間が右往左往している絵が見えました。
> お金には実体がなかったんですね。
> 言葉で説明は難しいのですがきっと、ちーさんなら理解してくれると思うのですが
> 存在しないお金の為に人間たちが争い、心配したり守ろうとしたりしている
> ある種、滑稽な絵が見えました。
(以下、略)
シェアシリーズでは、”見えた” というような内容を多く共有していますが、それは何よりそれが重要なことだからです。
この見ることが起こると、その後に続く人生が一変してしまいます。
なぜなら、この見ることは、必ず叡智とセットになっているからです。
叡智とは偉大なる気づきであり、その気づきは、それまでの人生のいわゆる信念を、信念体系を木っ端みじんにしてしまうからです。(信念体系…。私は、あまりこの単語を使いまわしたくないのですが、今のところ、適当な単語がないので使用しています。)
この方には、このシェアシリーズで何回か登場していただいていますが、やはり、耳を傾け続け、素直に受け取り、日々の日常の中で適用していくことで、本当に着実と進歩、あるいは背が伸びていくんだな、と証明してくださっています。
もちろん、何に耳を傾けるのか?何に素直になるのか?といった最も重要な素質については、私もどうすることもできません。ラーメンのうまい作り方にしか興味がない人間には、このような話は、どうでもいいくだらない話として処理されるだけです。
そういった意味で、この方は、私に会う前までに、あらゆる準備をされてきたわけです。
そうでなければ、こうはなれないですから。
そして、もちろん、当の本人は、自分がどんな準備をしているか、だなんて、まったく知る由もなく生きていたことでしょう。それが、スピリットの用いるやり方です。忍び寄るものに忍び寄るわけです。
こうして、この絵が見えたとき、圧倒的なまでの感謝の感情が爆発します。
それは、完璧だった、という一言に集約されるわけです。
その完璧さを、あちら側として認識するのではなく、まさしく自分自身にそれを見て認識するので、あなたは神としてのあなたを受け入れ、思い出すことができるのです。
なぜなら、完璧さの別名は、神だからです。
さて。
この方は、絵として、自分自身を取り巻く家族を観たのです。
一体、何に騒いでいるのか?
それを、文字通り、絵として見たのです。
実際、この絵を見ると、いえ、観ることと同時に起こるのは、そこにはまばゆい光があるのです。
その光の向こう側で流れがあり、その流れとは、人間関係で右往左往している現象なのです。
この光と絵が見えるとき、止まります。
いえ、止まるからこそ、光と絵が見えるのです。
では、何が止まるのでしょう?
それは、あなたが、自分だと思っている自分が止まるのです。
この止まることは、あなたにできることではありません。
それは、他のことと同様、起こることです。
この方は、だからこそ、このようにそれを滑稽なものとして、まるごと絵として観たのです。
そうなります。
完全に叡智から語っているのがわかります。
それは、光に触れたからであり、この方が神なる本来の私として観た、からです。
今までもGMやクラスに参加してくださった方は、この方と同様な体験を共有してくださいます。
それは、皆さんがいかに超えるべきところを超えたかを示しています。
そして、このような体験がまだなくても、あなたがこうしてこのサイトを訪れ、そしてこのサイト内のテキストになぜかひかれてしまうのなら、いずれあなたにもそれが起こります。
なぜなら、ここに、私のところにこうしてやってきたから。
偶然とか、たまたま、このサイトにきて、こうしてテキストを読むことはありません。
これ以上の証拠はありません。
そして、今回、共有してくださった方の体験が、あなたがそれを体験することを可能にしてくれます。
このようにして、どんどんと環が拡がっていきます。
最後に、シェアすることを許可いただき、誠にありがとうございました。
では、今回は、この辺で。