さて。

では、「覚醒したい」、「悟りたい」、「目覚めたい」と思っているにも関わらず、なぜそれは実現しないのでしょうか?

それは、これまでのテキストの中でいくつかの要因を示してきました。
ただ、それ以上に、重要なことがあります。

それは、

「覚醒したい」
「目覚めたい」
「悟りたい」

という場合に、それがあなたにとって、何を意味しているのか?
ということをはっきりさせることが出来ていないからです。

覚醒とは一体何なのか?
悟りとは一体何なのか?
目覚めとは一体何なのか?

ということなのです。

その定義については、もちろんこれまでたくさんの本を読んで学んだりしてきたことでしょう。そして、皮肉な事に、概念を仕入れれば仕入れるほど、全くわからなくなるのが、この道の常であるがゆえに、絶望的な気分になるわけです。

だからこそ、問題なのは、その定義ではなく、それが何を意味しているのか?
ということをストレートに知ることです。

それは、覚醒、悟り、目覚め、こういった概念に共通していることがあり、それらは、ただ本当の事、ということを現しているのです。
本当の事、という表現がわかりづらいのであれば、それらは、いわゆる真実や真理、と言い換えられます。

ですから、覚醒したい、悟りたい、目覚めたい、という欲求があるのであれば、
それは、

「本当に、本当の事が知りたい」

という表現に言い変えられます。

つまり、

「私は、本当に、本当の事が知りたい」

ということになるわけです。
このことについては、既にテキストで言及してきました。
(参照例は、こちらから)

しかし、それは本当でしょうか?

本当に、あなたは本当の事が知りたいのでしょうか?

ということになります。

では、ここでいう本当の事、とは一体何でしょうか?

なぜなら本当の事、とは、それこそ無数にあるからです。

たとえば、モテるために本当の事を知りたい。
株で利益を出すための本当の秘訣を知りたい。
人間関係をうまくいかせるため、家を賢く買うための本当の知識…

といった具合に、無数に、”本当のこと” はあるからです。

では、私がここで言っている本当の事、とは一体、何でしょうか?

それは、あなたが何者なのか、ということについての本当のことです。
あなたは、本当に、それを知りたいと思っているのでしょうか?
ということになります。
それが、覚醒であり、悟りなのです。

はっきり言ってしまえば、あなたにとっては、本当か嘘か、それしかありません。

だから、株で儲けるための本当の事や、パチンコで勝つための本当の事、仕事で成果を出すための本当の事、モテるための本当の事といった無数にある、これらの本当の事は、実際は、本当という名の”嘘”です。

なぜでしょうか?
それは、あなたが観ている世界自体が、嘘で出来ているからです。
それは、夢、もしくは幻想だからです。

ですから、虚構の中で本当のことを探し求めても、それは結局、嘘を探している、ということになるのです。

それに対して、私が言っている本当の事は、嘘の世界の中でうまくやっていくことではありません。それは、この世界を立ち去るためにはどうしたらいいか?あるいは、観ている夢の世界をいかに終わらすことができるのか?
という意味での本当の事、だからです。

そのためには、あなたが本当には、何者であって何者ではないのか?
ということを知らなければならないのです。
覚醒、悟り、目覚めとは、このことを意味するのです。

これは、非常にショッキングな”事実”です。間違ったエゴにとっては。

私は、クラスやグループミーティングで常にこのモードで皆さんに語りかけています。

そして、その結果、覚醒したいけど、自分が思っている覚醒がそうではなく、そして本当のこと、つまり、真理を目の当たりにして、即座に逃げてしまいたい衝動に駆られた方を何人もみてきました。

つまり、そういうことなのです。

☆たとえば、ラマナ・マハルシは??

では、ここでもう少し違う点から、このことをみていきましょう。

もし私が言うことが気に食わない場合、彼らを見てみるといいかもしれません。

たとえば、ラマナ・マハルシです。

詳しく知らないのに、こういう所に例を出していいかはわかりませんが、とにかく彼をみていきましょう。

私が読んだ限りですが、彼は、確か親戚の叔父か誰かの死に直面して、わかるべきことをただちにわかったのです。

わかる限り、その瞬間、彼に起こった事は、ダグラス・ハーディングが部屋の中に置いてある絵を何気なく取った時と同じだったはずです。
それは、電撃的な理解です。

その時、彼はまだ十代ぐらいだったのではないでしょうか?
それまでの間、果たして彼は、

「ちくしょう、覚醒してーぜ」
「いつか悟ってやる」

と思って過ごしていたのでしょうか?

私には、どうしてもそうとは思えないのです。

ただ、彼に、悟ることが突然として起こった、というのが実際です。
私の経験からわかった限りでは。

☆ニサルガダッタ・マハラジや仏陀は??

また、ニサルガダッタ・マハラジはどうでしょうか?

彼についても、ラマナ同様、会って話したこともないですし、彼についての記述をそれほど読み込んだわけではありません。

ですが、記憶があっているのなら、彼もまた、気乗りしないのに、友人にグルの所に半ば強制的に連れて行かれ、そこで彼は、突如として彼なりの目覚めを得たわけです。

ですから、彼もまた、日常的に

「くそー、覚醒はまだなのか」
「まだ悟れないぞ、クソッタレめ」

と思っていたわけではないと思うのです。

ただ、彼ら二人にたぶんですが、共通していた事は、彼らは彼らなりに、本当の事を探し求めていたはずなのです。私と同じように。

ニサルガダッタ・マハラジに関して言えば、たしか彼は幼少のころから、本質的な質問をよくしていた、というような記述を読んだような気がします。

そして、それはもっともなことなのです。
本当の事を知るためには、本質的なところで生きなければなりません。
ですから、常日頃、本質的なこととともに歩んでいき、結果として、それが実を結び、覚醒へと繋がるわけです。

仏陀もまたそうでしょう。

全てが約束された身でありながら、彼は、それに全く満足していなかったはずです。彼はただただ、本当の事を知りたかったのです。

なぜなら、知覚できる全てが偽りの感覚を押し付けてきていたからに他なりません。だからこそ、本当の本当を追い求めて、彼は家を後にしたわけです。
そして、結果的に、彼は悟りを開いた、というわけです。

このように、悟りや解脱、目覚め、覚醒、目覚めといった概念は、先にあるものではなく、結果として起こるだけの単なる名称に過ぎないのです。

それらは単語としてそうあるだけで、それら全てに共通している事は、

本当の本当。

ということです。

ですから、本当の本当を知るためには、まず偽り、嘘を見抜かなければならず、それには、確かに想像を絶する道を歩まなければなりません。
なぜなら、この世界自体が、嘘で出来ているからです。
いわば世界を敵に回した状態で生き抜く必要があるからです。

皆さんは、つまりそういう道を歩んでおられるわけです。

このことは、間違ったエゴは、物心は絶対に、これをあなたに言いません。
いまでさえ、

「おいおい、こいつはお笑い種だ」

と狼狽を隠しつつ、冷笑していることになります。

ですので、みなさん。

皆さんは、本当に本当の事が知りたいのでしょうか?
それとも、実は、そう思っていたかっただけで、実は、夢の続きを望んでいるだけなのでしょうか?

答えは、皆さん自身が知っています。

そして、その知っている事に即した結果が皆さんの所に返ってくることになります。

では、今回のテキストは、この辺でおしまいにしたいと思います。