前回は、A段階の在り方の特徴を見てみました。

今回も引き続き、A段階について見ていきます。

さて、A段階の人間は、明らかに異なっています。
異なっていますが、ごく普通の人間です。
A段階に到った人間は、本当にごく少数でしょう。
ですが、彼らは自分が他人と違った特別な人間だと主張する事も、態度で示す事もないでしょう。

彼らはそれまでは、何か特別な事を期待していました。
期待が何をもたらすかを知っているにもかかわらず、それでも期待してしまっていました。

悟りを得ると、どうなるのか?
覚醒すると、どうなるのか?
自由になると、どうなるのか?
アセンションすると、どうなるのか?
マスターになると、どうなるのか?

彼らは、このような欲望を持っていました。
しかし今や、これらの本当の価値を見抜くことができるのです。
それは、期待していたものとは全然違うことを見出します。
ですので、もうそこに期待も欲望もなくなるので、彼らはそれを追いかけません。

今や、誰に、それを追いかけろ、と言われているか気付くのです。
そして、それを簡単に捨てる事でしょう。

☆間違ったエゴを終わらせる

さて、今では彼らの興味は、自分だと思っているものだけです。

彼らは、自分だと思っていたもの、つまりそれは間違ったエゴという個人的行為者だったこと。
そして、その個人的行為者というのは、実は存在していないことを知ります。

存在していないのに、存在しているように思える自分に、彼らは苛立つでしょう。
そこで彼らはもう一度戻って、どうしたらこの間違ったエゴを終わらせる事が出来るか、
対策を練るのです。

これを達成できた方は、歴史上、わずかばかりのようです。

そして、そのわずかばかりの方の教えに、彼らは真剣に耳を傾けます。
それ以前の段階では、教えを聞いても、それは概念で、外側のことでした。
しかし今や、間違いなく、それがわかるのです。
わかることがわかるのです。

しかしながら、彼らはじきに気付くのです。
そのわずかばかりの方々が残した教えは、全員違う表現だという事を。
そこで、彼らは途方に暮れます。

そして、苦悩極まると、彼らはそれを解決しようとしている人に気付きます。
またもや、彼らは騙されたのです。

ここまで来ると、彼らはもう自分は何も出来ない事を理解します。
そうやってギブアップして初めて、そもそも自分は何もしていなかった事を
直接見ることになるのです。

この理解によって、間違ったエゴはもうどうしようもなくなってしまいます。

最終的に、彼らは人生を受け入れるのです。
そして、何をするにも自分がやはり何もしていない事にびっくりしながら、それを受け入れていくことになります。

彼らは、人生に降参します。
そして、事実生きているものを愛していき、
そこに含まれる一部が自分であることも愛するでしょう。
つまり、私とは、人生の主体ではなく、客体だったわけです。

間違ったエゴにピリオドを打つには、間違ったエゴとしていかにあなたが間違っていたのかを完全に知り尽くしたとき、エゴを創ったそのものが取り去ってくれるのです。
任せるほかないのです。

以上が、A段階の在り方です。

次回は、S段階の在り方について、見ていきましょう。
私が知る限り、ここが最終地点になります。

(つづく…)