エゴがどのように自分自身が生き続けるために、
あなたを罠にはめるのかを具体的な例を見てみましょう。
☆新しい概念
私自身の例をとれば、一時期、私は新しい種類の概念に見事にはまり込みました。新しい種類の単語や新しい方法論などが綺麗に並べてあったのです。
私はそれを見て、「これはすごい!」「これはやるに値する事だ!」と猛烈にのめりこみ始めてしまったのです。
今までのやり方は古臭く、どうしたら新しい方法で現実を創造できるのか?についてのレクチャーがそこで行われていました。
そこでは、「あなたは価値があり、あなたがそれをやるのです!」と力説していたのです。
私達は、一般社会が提供できる以上のものがあることを受け入れることが出来た時、エネルギーに非常にウブになります。
天使やアトランティスやレムリア、UFO、神仏、次元、地球を支援してくれている存在…。
このようなものに、うっとりしてしまうのです。
これらを探求し始めたら、きりがありません。
それは、宇宙を探検するのと同じように、ずっとずっと探求しなければいけなくなるのです。
なぜなら、それはどこまでいっても外側のものだからです。
ただ、このような探求自体は、とても楽しいものです。
一般社会は、これらのものを受け容れられないので、腫れ物にでも触るかのような扱いを受けますが、探求自体は非常にやりがいがあり、充実したものになるでしょう。
けれども、本当の答えは、このようなものにはないのです。
一つ発見したら、また次が待っています。
ずっとずっと、これが続いていきます。
もしそれが楽しくて、それでもいいのでしたら、それはそれで一向に構いません。
何も間違っている事ではありません。
ある人にとっては、そこを通らなければいけないプロセスになっているからです。
しかし、なぜそれらを探求したくなるのでしょうか?
そこが問われなければいけません。
☆成長、変化という魅力
私自身の経験と多くの人を観てわかったことは、大抵の場合、自分自身の何かを上げたいからなのです。自分自身が何かになるため、自分自身がそれを行うことによって変化できることを期待しているのです。
「これを知れば、私はもっと素晴らしくなれる。世界は変わる」
「これを行えば、私はもっと成長でき、理想的な状態に達する事ができる。
他人には恥ずかしくて言えないけど、マスターになれるかもしれない」
こんな風に、大抵の人は、自分自身がよりよい何かに変身出来ることを願っています。
何度も繰り返しますが、それはそれで結構なことです。
しかし重要な事は、あなたは何にもなる必要がない、ということなのです。
なぜなら、既にそうなっているのですから。
このことが単なる概念ではなく、直接体験によって知ることに到った人は、もう何も追いかけ求めません。
それは単なるゲームでしかない事がわかるからです。
ポイントは、単なるゲームでしかない。
というこれまた単なる公式で理解することではありません。
本当に、直接的に理解するほかないのです。
私自身、自分がなんてバカだったんだとびっくりしました。
なんて無駄な時間とエネルギーをそこに費やしていたのか?
なんて愚かだったんだ!!と本当にびっくりしたのです。
それ以来、そこで教えている様々な概念が単なる概念であることを”見た”のです。
それは、なんてことはありませんでした。本当に。
その時に、「こういう風にして、私達は餌になるんだ」ということを”見た”のです。
けれども、これはこれでいいのです。
私にはこういう脚本が書いてあり、それはその通りに進んでいたのですから。
こういう理解に達するまで、間違ったエゴはあなたを離しません。
あなたが何に興味があるのか?あなたのウィークポイントが何であるのかを知り尽くしているので、それを使って、あなたと遊び続けるでしょう。
☆バーナデット・ロバーツの例
バーナデット・ロバーツさんという方がいらっしゃるのですが、彼女は自分が書いた本の中で、正確な記憶ではありませんが、こんな風に言っているのです。「疲れを知らない精神力、ヒーリングの可能性、浮揚現象、幽体離脱、予知、心を読める能力…。こういうエネルギーが私の前に現れました」
これらは、確かに素晴らしい可能性と性質をもっていますが、同時に非常に危険な香りを持っています。
なぜ危険なのかと言えば、これらの体験が往々にして、単に間違ったエゴによる隠れた優越感に繋がってしまうからです。
隠れようが隠れまいが、優越感はそのまま分離の幻想を強化しまうのです。
こうなってしまえば、これらの体験は、毒にしかなりません。
彼女の場合、このような体験をしても、それらを拒否したのです!!
「いらない」「欲しくない」
進歩した方は、こういう風にして、間違ったエゴの誘惑を乗り切っていくのです。
探求すればするほど、私達はこのような現象や概念に出逢います。
そして、落とし穴に落っこちるのです。
この事例以外にも、沢山の例があります。
罠にかからなかった方、見事にかかった方。
皆さんも、自分自身の経験を洗い出してみてください。
そして、外側を観察し、そういう事例がどこに転がっているのかを調査してみてください。
そして、絶対に言わなければいけないのは、もしあなたがこの文を読んで、「私は、ひっかからない」と思っても、たぶんダメでしょう。
ひっかかります。自分がひっかかったことすら、気付かないのです。
あなたが、充分成熟して初めて、罠にかかっていることに気付くのです。
いいでしょうか?
付け加えて言うならば、罠という単語を事あるごとに使っていますが、
私の経験したことでいえば、罠としか感じられませんでした。
そして、罠にはめる間違ったエゴは悪者のように思えますが、違うのです。
間違ったエゴを悪者扱いしてもしょうがないのです。
それをしているあなたが間違ったエゴなのですから。
いいでしょうか?これを忘れないで下さい。
忘れなければ、充分です。
忘れない事で、仕事は効率的に進んでいくかもしれません。
今回は、自分を生きることがテーマでした。
自分を生きることとは、どういうことなのか?
それが何かの役に立つのか?
ということについて、ご説明いたしました。
ただし、今回の3-3では、ホワイトクラス、というよりクリアクラスの内容になってしまいました。
これについては、クリアクラスでもっと調べてみましょう。
以上で終わります。
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