既に説明したように、結果は明らかです。結果は、いつの間にか、またそこを離れることが起こるわけです。
ですので、まずはどういう場所で働こうと、たとえそこがいかに待遇がよく、素晴らしい環境であろうと、そこでずっと働いていこうだなんて、考えないことです。そこで安定を求める、ということは、同時に最も大事な、本当の安定を捨てた、ということを意味します。
発見者は、徹頭徹尾、諦めていなければいけません。
世界の中に何の期待も持ってはいけないのです。
なぜなら、世界の中に期待を持つことが意味するのは、世界に自分の大事なものを明け渡してしまった、ということを意味し、その結果、私より世界のほうが大きい、ということを許してしまう事だからです。だから、いつも負けるわけです。
さて、では、会社などの組織の中で働かなければいけないとき、発見者にとって、何か指針、あるいは励みにできるようなものはあるのでしょうか?
その一つが、②だと言えます。
すでに何度となく説明していますが、苦しみがあるのは、まだ自分があるからです。人生の主体、つまり自分だと思っている自分がコントロールを握っているからです。それがなくなってしまえば、苦しみは絶対に起こりません。ひっかけるためのフックがなくなるからです。ですので、会社で働こうが何も問題は起こりません。
はたからみれば、当人が苦しんで見えるかもしれません。悩んで見えるかもしれませんが、当人はもういません。機能しているだけで、いません。これこそが、本当の幸福です!!
しかしながら、これが完全に起こった存在は、歴史上をみても本当にごくわずかしかいないようです。わずか、なんてものではないでしょう。
働けなくなってしまっている方々は、人間の進歩段階からみれば非常に成熟している段階になってはいるものの、成し遂げてはいません。
そういう場合、それでも周囲の人間とレベルが違いすぎるため、毎日の仕事が絶望的なほど、苦しいものとなります。
そこでやってしまいがちなのは、その差を価値判断の道具にしてしまうこと、すなわち自分のほうが進歩しているのだから、彼らはどうしようもない、と結論付けてしまう事です。
これは、大抵の方がやってしまうことなのだと思います。これは、確かにもっともなことなのですが、既に説明したように、残念ながら、彼らに基本的に ”負ける” ことは決まっているのです。すでに、明け渡してしまった状態なのですから、そこに価値判断すること自体が間違っているのです。
こういうわけで、どんなにもがこうが何をしようが、世界は変わりません。「とにかく、朝きちんと来て、決められた仕事をしろ」という要求は変わらないのです。
その結果を見て、発見者は幾度となく、打ちのめされることになります。
これが基本的な構図になります。
(つづく…)
【レベル】:ゴールドクラス~クリアクラス